【前回の記事を読む】コロナ禍でリモートワークになり、人間らしい生活を取り戻せた。でも、離れて暮らす妻に触れることだけはできず…
2 測りかねる
昼休憩に入った。この前見かけたパン屋に行こうと思い立って、チャットのアイコンを「不在」表示にする。今回はタイムリミットがあるので自転車だ。マスクも忘れない。
昼ということもあってか、この前ほどの寂しさは感じられない。営業すらしていないと思っていた店も、ランチ営業をしていたり、弁当を売っていたりと、シャッターが上がっている。それでも、今日の目的はパン屋だ。
出勤していた頃は、会社に入る前に、会社近くのコンビニでおにぎりとペットボトルのお茶を買っておいて、昼休憩中もデスクから動かずに、パソコンを操作しながら昼食をとっていた。そんな日々が脳裏にちらつくと、目の前の焼き立てパンの輝きが増す。
レジのすぐ隣にドリップコーヒーが置いてある。
貧困に苦しむ世界の子供を支援する団体の活動の一環としてフェアトレードのコーヒーを販売しているとのことで、その説明書きには、日本にも貧困問題があることや、コロナの世界的な蔓延でさらに複雑化していることが書かれている。かわいくデフォルメされた地球がトレードマークのようだ。全世界的な問題なんだと、実感が強くなる。
暗い気持ちを振り切ってコーヒーを手に取る。1パックに二つ入っているらしい。お得感はある、なんて言い訳してみる。
自分も何か少しでも力になれるなら、という気持ちがじわっと沸き上がる。
パニーニと、クリームパンと、おやつ用に焼きドーナッツと、柄にもないがコーヒーも買って、店を出た。入れ違いに老夫婦が店に入るところだったので扉を押さえていると、二人同時に会釈をしてくれた。
隣の総菜屋にはベビーカーを片手で前後に動かしながら注文をしている男性がいて、向かいのバーが店頭で出しているランチボックスをスーツ姿の女性が見繕っている。
別にいいのかな、なんて思った。今の生活のほうがいいと思っても、今の生活を楽しんでも、罪悪感を感じなくても、誰かに気兼ねしなくても、いいのかもしれない。大っぴらには言えないし、それでもやっぱりこんな自分を不謹慎に思ったりもするけれど、こんな風に思いながらもやっぱりどこかで寂しさを感じるけれど、それでいいのだと思いたい。
だから、故郷の家族や、コロナ前にまた飲もうと約束したっきりの友人たちに、連絡をしてみよう。今の生活のほうが性に合っている自分とは違って、苦しんだり悲しんだりしているかもしれない相手に連絡をするのは、罪悪感が深まりそうで怖かったけれど、このまま疎遠になりたくない。
みんなも、俺も、今のこの状況を懸命に生きていることは同じはずだ。明日どうなってるか分からないのは、みんなも、俺も、同じだ。
無事か?
元気にしてる?
変わりない?
コロナかかっとらん?
どんな言葉でメッセージを送ればいいか自転車を漕ぎながら考える。どんな風に聞いてもどこか仰々しい。聞いてみて、コロナにかかっていたら、次の言葉が見つからないとも思う。
難しいな、口からこぼれるように出た言葉は、家の鍵を開ける音に紛れた。