第一章 新兵
徴兵
杉井が家業に就いて一年三ヶ月が過ぎた昭和十二年七月、盧溝橋事件が起こった。和平のための条件闘争が日中両国間で進められる中、翌月に上海虹橋飛行場周辺で日本兵殺害事件が起こると、機を見ていた近衛内閣は、上海への陸軍派遣を閣議決定した。
上海派遣軍は静岡の連隊を含む第三師団と第十一師団によって構成されていた。昭和六年の満州事変以来の日本の一連の武力による中国侵略は、大日本帝国はアジアにおいて指導的役割を果たす使命ありとの大義名分のもとにすべてが正当化されており、この上海事変も杉井には、日本の崇高な理想を理解しない中国に対しての制裁的措置としか映らなかった。
陸軍派兵の命が下ると直ちに、田上連隊長率いる歩兵第三十四連隊が凜々しい軍装に身を固め、市民の歓呼の声と日の丸の小旗に送られて出征していった。しかしながら、この上海攻略は中国軍の抵抗の前に大苦戦となり、九月末までに、第三、第十一両師団の戦死者は二千五百を超え、戦傷者も一万近くにのぼった。
その結果、十月に入ると、難攻を極めた上海上陸の際に命を落とした兵たちが、白木の箱となって静岡の町へ戻って来た。数百の英霊は、銃を逆さに背負った連隊の兵に護衛され、葬送曲「吹きなす笛」のラッパに合わせて、静岡駅より国道を西へ、そしてロータリー道路を北上し、七間町を右折して繁華街を東進し、連隊まで無言の凱旋をした。
あらかじめ兵たちの帰還を知らされていた市民は沿道に参集して静かに手を合わせてこれを出迎えた。群集の中で杉井も緊張の眼差しで行進を見守った。戦争というものがやがて自分にとって身近なものになっていくという実感もなく、ただ、白い布に包まれた棺の列を見ながら、世に荘厳な死というものがあるとすれば、このようなものかも知れないと思った。