話を父と私との関係に戻します。私は父とそりが合わず、子どものころから衝突を繰り返していました。家から外に出れば、うまくいかないことの一つや二つは誰にでもあります。

父の場合、その不満を抑えることができず、母と私に当たることがしばしばありました。死ぬほどの虐待を受けてはいませんが、自分の親に対して穿った見方をするには、それは十分なものでした。

私は今でも、平和で良好な家庭環境が存在することが、不思議に思えてなりません。そこには親御さんの弛まぬ努力と愛情があるのでしょう。私はどんな状況にあっても、暴力と恫喝は、人を教育しないと強く主張します。

義務教育中の春夏冬休みは、母方の実家または親戚の家に預けられ、高校生時分は部活動に明け暮れて、ほとんど父と顔を合わせないように、口も利くことなく過ごした青春でした。今思い返してみると、私たち一家は家族になり損ねたのです。

幼いころ、父から「出ていけ」といわれるのがたまらなく嫌でした。幸い家がとても広く、自室にこもれば、父もそこまでは追いかけてきませんでした。

「一日でも早く自立したい」

「優しい人と結婚して、子どもを産み、自分だけの家庭がほしい」

父に暴言と暴力を受けるたび、毎回考えたのはこれだけでした。父の暴力は狡猾でした。叩けば自分の手が痛いので、必ず私の服で見えないお腹の部分を痕がつくほどつねるのです。それをされても、私は泣きもせずに父を睨み返してしまう気の強い娘でした。

父の瞬間湯沸かし器は止まらず、思いもかけないところでスイッチが入って怒鳴りだす困った性格でした。母が家にいることがいたたまれず、勤めに出るようになってやっと家庭は落ち着きました。ちょうど父方の祖父母と同居した時期と一致します。

私は父に対して、幼いころから憎悪の気持ちを隠し持っていたのです。それは、一歩間違えれば殺意です。私は一人っ子で、いちばん身近な異性が父だったので、異性に対しても潜在的によい感情は持っていませんでした。このために女子校が居心地よく感じていました。