【前回の記事を読む】17時間近く父に付き添い、病室の床で眠った。着替えのため一時帰宅したその間に、再び『危篤です』と連絡が――病院へ戻ると…
第一章 父と私、そして別れ
父と2人で暮らしたこと
バタンと後ろ手でドアを閉めて、私は台所に急ぎます。息を切らして自宅へ向かう坂を登る途中から、嫌な予感が止まりません。家に入ると、やはり父はいませんでした。私の予感は的中し、ガスコンロの火が小さく燃えていました。父の認知症を疑い出したのは、こんなことからです。
その前後にも、お風呂の給湯器のスイッチが入りっぱなしとか、トイレや廊下の電気が長い時間つきっぱなしとか、細かい事象はあったのですが、高齢者の物忘れだと、いちいち注意はしませんでした。でもガスコンロのつけっぱなしは、放っておいたら大きな事故にもつながりかねません。
じつは私が在宅している時間にも、何度か見かけて注意しました。本人に問いただしても、自分ではないといい張ります。思いあまって、介護経験のある親戚に相談したら、すぐにIHコンロに替えるようにいわれました。IHコンロの使い方を調べたり、対応の鍋を買ったり、それも大ごとです。こんな生活も長くは続かないであろうという予感がありました。
そのうち、父は買い物や通院、当時老人ホームに入居していた母の面会などから戻ってくるのが、かなり遅くなるようになりました。父はときどき、どこかに出かけてズボンを破いたり、足を擦りむいたりしていたようで、私が帰宅すると、それをかたくなに隠すようになりました。
外見からは見受けられませんが、少しずつ、少しずつ「父はおかしいのではないか」という小さな疑問の芽は、やがて私の頭のなかで確信の樹に成長していました。
私の父はプライドが高い人だったので、なかなか弱音は吐きません。近所の人の前でも普段通りに振る舞うので、認知症といっても他人は誰も気がつきません。
よくメディアなどで、近所の人と情報を共有して高齢者を見守るといっています。それはできる人とできない人がいると私は思います。
高齢者はとても見栄っ張りで、他人に弱みを見せることを極端に嫌います。父も同様で、私が他人に少しでも家庭内のことをいうことは御法度でした。でも結局、近所の人にもお世話になるのです。