【前回の記事を読む】1年ぶりに突然帰ってきた娘。母は娘を部屋に残すことにしたが、仕事へ向かう直前「あちこち漁ったりしないでよね」と…

霧のみずうみ

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アパートに戻ると、佳織は勝手に引っ張り出したらしいまち子の部屋着を身につけて、テレビドラマを観ていた。

「遅くなってごめんなさい。お腹すいたでしょう。お料理をたくさん分けてもらったから、すぐに用意するわ」

まち子がそう言って支度を始めようとすると、佳織がキッチンに入ってきた。

「さっきまで眠っていたから平気よ。それより、わたしがお料理を並べておくから、お母さんはお風呂に入ってらっしゃいよ」いつになく、娘は優しかった。

老舗旅館の料理は、どれも素材がしっかりしていて、手の込んだものばかりだった。一品一品に細やかな工夫がされて、見た目も華やかだった。この料理を求めて泊まりにくる客も多かった。

「この煮こごり、なんなの!」

佳織が驚いたような声をあげた。

柔らかく煮込んだ豚肉が、口に含むと舌の上で崩れるように溶解する。まち子は、坂本さんの横顔を思い出した。この煮こごりは、坂本さんの店でつくっているもので、あまりに絶品なので料理長がそのままメニューに加えてしまった。

別の重には、天麩羅が詰められていた。タラノメとコゴミ、それからウドの天麩羅だった。冷めていたが、衣はパリッとしていて、揚げたてのような食感があった。仁明亭の厨房では、残り油は決して使わない。この食感は、そういうこだわりの賜物だった。

そのとき、不意に佳織が立ち上がり、いたずらっぽい目をまち子に向けた。

「ごめんなさい、お母さん」

「何よ」

「やっぱり見ちゃった」

まち子は眉をしかめた。

「これ、ちょっと若すぎはしない?」

佳織は、まち子のクローゼットを開けて、紅色のスカートを引き出した。

「いいのよ。放っておいて頂戴」まち子は、娘を睨んだ。

「このフリルのついた感じ、もしかしたらこういうのが彼の趣味なの?」

佳織はそう言って、からかうように微笑んだ。娘に言われて、まち子は顔が赤くなるのを感じた。実際、娘の言うとおりだった。先日、男と一緒に県庁近くの百貨店に寄ったとき、彼の見立てで買ってもらったものだった。

一度試着をしたきりで、まち子はこのスカートをはいていない。男がこの街へ来るときは、たいてい仕事のあとで会うことになるので、まち子はいつも着物姿だった。外へ出掛けるときにはいてみようと思っているが、なかなかそういう機会がなかった。