【前回の記事を読む】料亭の女将に「おひとりですか?」と聞かれ、小さく頷いた…帰り際、彼女は視線を外しながら「今晩、お部屋に伺ってもいいですか?」と……
雪の夜
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「遅くなるかもしれませんが、きっと参りますから」
女の透き通るような声を耳に焼き付けながら、英介は店を出た。空が青く澄んでいた。英介は、十五年前のことを思い出した。
あの日、英介は出張で名古屋から金沢へ向かっていた。二月が終わろうとしていた。寒い日だった。朝から、霧のような細かい雨があり、それが午後になって雪に変わった。その日のうちに金沢に着くつもりだったので、名古屋を出たのは午後の遅い時間だった。
初めのうちはちらつく程度だった雪は、大垣を過ぎたあたりから本降りになり、米原で新幹線から在来線に乗り換えたときには、かなりの降り方になっていた。
琵琶湖の方角は、薄い膜がかかったようにかすみ、そこに何があるのかもわからないほどだった。特急列車は、速度を落としながら、湖西を北上した。情緒のある旅になったものだと思ったのを憶えている。敦賀にさしかかる頃には、窓から見る風景は雪に覆われて、視界もほとんどなかった。
予報では、夜半まで降り続くということだった。特急列車は、駅に停車するごとに雪を払い、のろのろと進んだ。行けるところまで行こう、という頼りない走り方だった。そして、辺りがすっかり暗くなった頃、突然列車が停止した。雪の重みに耐えられなくなった倒木が、この先の進路を塞いでいるというアナウンスが流れた。
駅はすぐ近くにあり、屋舎の屋根が煙って見えた。外は、列車から漏れる光に照らされて、白く光っていた。それが、いったい何なのかわからない。山がかなり迫っているはずだったが、雪との境目がはっきりとしなかった。
復旧の見込みは立たないらしかった。九時を過ぎたとき、今日の除去作業は中断されたとアナウンスが流れた。列車はゆっくりと後退を始めて、手前の駅まで引き返した。そこで断念して降りる乗客もいたが、車中にとどまる客も少なくなかった。英介は、すぐにネットで検索して、付近にある宿を予約した。
窓ガラスには、凍った雪が張り付いていた。車両を覆う雪は、深まるばかりだった。窓の向こうに暗がりがあり、暗さの中に雪の白さがあった。白くもあり、黒くもあった。暗さと明るさとが混在しているようで、それが不思議だったのを覚えている。
英介は、ボックス席の窓際に座っていたが、ガラスに映る女のことが、ずっと気になっていた。女は、英介とは通路を挟んだ反対側のボックスに座っていた。
女とは、米原から一緒だったような気がする。手荷物もとくになさそうで、和服にコートを羽織っただけの格好だった。
髪を巻き上げて、化粧もしっかりしていたので、旅館か料亭に勤める人かとも思ったが、仕事中という感じでもなく、かといって、旅をしているという感じでもなかった。足元を見ると、底高の草履も足袋も、悪天のせいか汚れていた。その様子が、少し異様だった。
英介は、しばらく女の様子を観察していた。すぐに宿に行ってもよかったが、なぜかそうしなかった。しばらくすると、乗務員から弁当と茶が配られて、女はそれに少しだけ箸をつけたようだった。
「ここは、寒くないですか」
女は、一瞬話しかけられたことがわからなかった様子で、宙を見るような目つきをしただけだった。