【前回の記事を読む】夫以外の男は初めてだった。名前も知らない男と雪の夜に旅館で二人きりに…「わたし、初めてなの」と告げると、唇をふさがれて……

雪の夜

4

大晦日の深夜、葉子は寒気を覚えて目が覚めた。全身にだるさがあり、身体が思うように動かなかった。体温を測ると、三十八度あった。

「中崎」で働いているときには、風邪ひとつ、かかったことがなかった。

頭の中に、熱を持った水が巡っているようだった。神経のすべてが弛緩して、制御を失い、自分の手脚が自分のものでないような気がした。

救急診療で診てもらおうと英介は言ったが、葉子は断った。熱の中でまどろみながら、英介を感じていた。目を開けると、そこに英介の顔があった。大きな目が、葉子を見つめている。ああこの目だと、心から愛おしさを感じた。

この人の優しさがどこからくるものなのか、葉子はときどき考えることがあった。これが、この人の本来のものなのか。もしそうだとしたら、二十五年も一緒に暮らしてきた英介の妻は、どうしてここを出て行ってしまったのだろうか。

元旦の夜、葉子は熱にうなされながら、夢を見た。ここに来て、二度目のはっきりとした夢だった。

そこは、白い世界だった。白さの中に暗さがあり、その中に、明るさがあった。

葉子は、どこまでも白い世界を、ただ歩いていた。今度は電車の中ではなかった。広い空間があった。白さは、雪のようでもあったが、違う気もした。ただ、ぼんやりとした柔らかさと、どこまでもこの道が続くのだという感覚があった。

その先に、希望や未来があるのかもわからない。そんなことも、考えなかった。ただ、この繰り返しがあるのだという時間だけを感じていた。

5

英介は、葉子の顔色がすぐれていないことが、ときどき気になっていた。透き通るように、どこか青みかかった肌の色合いは葉子を美しくみせているけれど、このマンションに来た頃と比べて、その青みが濃くなったように思えた。

初めのうちは、気のせいかとも思った。年末に高熱を出したときも、ただの風邪ではないように思えた。病院できちんと診察を受けてみたらどうかと勧めたが、葉子は笑って取り合わなかった。

「顔色が悪いのは、貧血症のせいなのよ」

葉子はそう言うと、涼やかに笑った。

「鉄分を処方してもらっているから、それを飲んだらすぐに良くなるわ」

そう言われたら、そうかと思うしかなかった。ただ、ときどき襲ってくる心許なさがあって、いまここにいる葉子が、ふっと消えてしまうのではないかという不安を感じることがあった。

二人のいまの状態は、誰にも知らせることのできない逃避行のようでもあり、いつ終わってしまうかわからない。葉子の顔色が良くないことが、そういうことの象徴のようにも思えた。

ときどき夜中に、葉子が目を覚ましているのに気付くことがあった。葉子は言わないが、寝付けない夜もあるようだった。

飛び出してきた家のこと、娘のことも、気にならないはずがなかった。葉子はそういうことを一切口にしないし、英介も口にしない。口にしないが、お互いに考えていることを感じ取っていた。