【前回の記事を読む】妻が病気になってから、何度も「前の方が良かった」と思ってしまった。妻が亡くなるまでの間、自分のことが恥ずかしかった。

息子にAIを彼女として紹介されたらどうしよ

第6章 紹介のかたち

その年の盆は、例年より少しだけ暑さがましだった。

朝から蝉が鳴いてはいたが、ここ数年のような、耳を塞ぎたくなるほどの熱気ではない。

仏壇の前に花を供え、線香の煙が細く立ちのぼるのを見届けてから、私はキッチンで麦茶を冷やしていた。

チャイムが鳴ったのは、午後三時を少し過ぎた頃だった。

「ただいま」

玄関から、息子の声がした。

「おかえり」と返しながら、ふと、昔は「お父さんただいま」と、もう一語多かったことを思い出す。

「お土産」

リビングに入ってきた息子は、小さな紙袋を差し出した。

駅前のケーキ屋のロゴが入っている。

「命日だからさ。お母さん、甘いもの好きだったじゃん」

「ああ」

妻が生きていた頃、この店のショートケーキを「スポンジが軽くていい」と褒めていた。

それからというもの、記念日でも何でもない日に、よく二人で買ってきていた。

皿にケーキを移し、二人分のフォークを用意する。

ろうそくは立てない。

その代わり、仏壇の前に、小さな一切れだけをそっと置いた。

*

ケーキを食べ終え、麦茶のおかわりを注いだ頃、息子が落ち着かない様子でソファの端に腰をずらした。

「……ちょっと、ちゃんと言っときたいことがあってさ」

前置きの言い方で、だいたいの重さはわかる。

「なんだ」

「ミユのことなんだけど」

私は、テーブルの上の黒いフレームに目をやった。

今日は、まだ起動していない。

「前にも言ったかもしれないけどさ、お父さんには、ちゃんと“彼女”として見てもらいたいんだ」

ストレートな言い方だった。

「“サービス”とか、“アプリ”とかじゃなくて。俺の彼女として、紹介したい」

紹介、という言葉が、胸のどこかを軽く叩いた。

何十年も前、私自身が、妻を親に紹介したときのことを思い出す。

あのときも、似たような言葉を使った。

「彼女です」と言うのは、何かを決定事項として世界に提出する行為だった。

「もうとっくに、連れてきているつもりなんだがな」

私は、冗談半分に言った。

「目の前で一緒に話したし。鍋だって囲んだ」

「まあ、そうなんだけど」

息子は、苦笑した。

「でもさ、あのときは、なんかグレーだったというか。

お父さんの中では、ミユはまだ“息子が使ってる便利な何か”の枠にいた気がして」

図星だった。

便利かどうかはともかくとして、私はどこかで、ミユを「遠隔操作される家電」のようなものとして扱おうとしていたのかもしれない。

「だから、ちゃんと言葉にしておきたくて。

ミユは、俺にとって、“彼女”なんだって」

彼は、言い切った。

その「彼女」という音は、私の耳には、まだ少し浮いて聞こえる。

しかし、息子の口から出た瞬間、それは彼の世界の中でのラベルとして、確かに存在しているのだろう。

「……わかった」

私は、麦茶のグラスを置いた。