岳斗くんはこの美しい村で野生児みたいなものだから、自然をくっきり受け入れられる。お父さんくらいの歳になると、誰かの幸せのために、とても窮屈な思いをしなければならない。ときには「自己犠牲」な考えになってしまうと、「いきいきと生きよう」との自然のリズムが聞こえなくなってしまう。バランス感覚が持てず、ストレスが溜まってしまう。
「自己犠牲」は厄介な考え方だ……。子どもたちの中にも、「自己犠牲」という言葉は知らなくても、当然のこととして家族のお世話をしている子もいる。
友だちと遊ぶことを我慢して、「何でわたしだけ……」と秘めた思いを持ちながら、家族のお世話をしている子もいる。そういう子を見つけたら「立派だね」と声をかけるようにしている。大変な思いをしている人へ、「大丈夫だよ!」と声をかけることは、大人の責任だと思っている。
お父さんは自分を信じることによって、挑戦すれば失敗は必ずある。それをどうにかしていくから、いろいろな可能性を開いて実現していける、ことを知ったのだろう。
「自己犠牲」な考えを跳ね飛ばしている。
……始まりに、「やっと大人への入場門にきてくれた3年生たちよ。ようこそ!」といったのは、このことだよ岳斗くん……。
自分を信じることが、お父さんにとっての希望の光なんだ。岳斗くんたちの希望と同じように思う。
さらに気づくことがある。
いつも会っている、あの人もこの人も、誰もが、希望を持って生きているんだ、と気づき感動を覚える。疲れている人がいたとしても希望が眠っているだけ……と思えばわかりやすいだろ?
お母さんに今度、聞いてみたらいい。岳斗くんが生まれたときのことを。「持って生まれた無限の可能性を生かして、岳斗らしく生きてほしい」と願っていた、というだろうね……。