三月二十九日(火)晴
夜、母のアパートで風呂をつかった後、棚の上のカセットケースを何げなく手に取り開けてみた……。
やっと見つけた……、ずっと探していた四十年以上前のあのテープがこんな所に隠れていた。
それは、まだ若い母が私たちのために歌い残した童謡・唱歌の歌集であり、「子や孫に聞かせるための歌」と、メモがはさんである。けれど、録音後、それを聴いたことはなく、目にすることさえなかった。
四本のテープには三百曲もの歌が入っており、更にその最後に母のメッセージが録音されていた事に私は驚いた。
「お前が大きくなった時、この厳しい世の中を生きて行くには色んなことがあるのよ」といった呼びかけから始まり、「人に紛動されず、真面目に生きていってちょうだい……」と、約六分にわたり語られている。(委細後述)
これはまるで遺言ではないか……。まだ四十歳にもならない母が言う言葉にしてはあまりに妙だ。
もしや、いつかのように、また家出でも考えていたのだろうか。あるいは、まるで晩年の自分が声を無くしてしまう事を知っていて残したかのようではないか……。そんな想いが胸に込み上げ、私は涙にむせんだ。
大した母であり、大した愛情である。
(それにしても、よくぞ劣化もせず残ったものだ。実は、デジタル化されたCDやDVDより、結局はアナログなカセットテープの方が永く保存できるらしい事が最近わかったようで、おかげで、母と私の宝物はこの手に届いた。)
三月三十日(水)晴
ともかくも、母に早く聴かせてあげたい、そして話がしたい……。私は珍しく、昼前の病院へ駆ける思いで急いだ。
母は、ちょうど食堂へ移動するべく、車椅子に座ったところであった。
私はすぐにでも伝えたい衝動をおさえ、その背を押した。
食事の膳が用意されるまでには少し時間がある。
「やっと見つけたよ……。四十年前にお母さんが歌ったテープ。まず聴いてみようか……」
看護師たちも、「わぁー、素敵な声。これ、ザンマさんが歌っているの?」
「そうそう、大昔にお袋が私ら子供のために歌ったものですよ……」
母は十日ぶりに歌を聴いた。近ごろは歌詞のない曲ばかりを掛けていたものだから、やはり嬉しそうだ。時々、昔の自分の声に合わせて歌おうとするが節にならず、代わりに左手で拍子をとって歌っているつもりになる……。それでも母は充分に楽しそうで、顔の表情も急にしっかりとし、昨日までの消沈が嘘のようだ。
まさか、四十年も前の自分の歌声に励まされるとは、何とも不思議な光景である。
ガシャンと、テープの片面が終わった時、「アキ……ありがとう」と、目を潤ませ母は言った。
*
夜、増澤さんがひょっこり顔を出し、チューリップの花を持ってきてくださった。「うちの母に買ってきたお裾分けですよ……」と。
ご自身も大変なのに、いつも気づかいをくださり嬉しいばかりだ。
横になった母は、それをじっと見つめている。言葉はないが、きっと喜んでいるのだ。