『だいじょうぶ』

朝の日差しがカーテンをすり抜ける。

耕平はソファーで目を覚ました。

ぼんやりした目で部屋を見渡す。

壁に岡崎のポスターは貼られていない。

勉強机もなければ。

ランドセルもない。

ここは二十五歳の耕平の部屋。

戻ってきたのか。

耕平は腕を上げた。

両手を広げる。

それは子供のものではなかった。

目に映るのは大人の手。

思わず笑みがこぼれる。

馬鹿馬鹿しい。

夢に決まっているだろ。

だがあれが夢なら。

現実味のある夢だった。

からだを起こすとテーブルに目を向ける。

空いたビールの缶を数える。

全部で六本。

床にはDVDが散らかっていた。

映画を見ながら寝落ちしたのか。

耕平は静かに目を閉じる。

夢を思い返す。

二人の名前。

兵吾と亜希。

懐かしい友人。

夢の内容は思い出せないが。

亜希には何かを渡した気がする。

それが何かは憶えていない。

結局。

憶えているのは名前だけ。

耕平は仰向けのまま天井を見つめる。

少ししてからだを起こす。

テレビのリモコンを掴むと。

スイッチを押す。

プチッ。

小さな音が静かな部屋に響く。

画面に若い男性が映った。

黄色いジャケットを着た男性。

男性は洋菓子店でケーキの説明を受けている。

途中笑いが起こった。

店員の説明に突っ込みを入れたのだ。

見覚えはないが。

男性は若手のお笑い芸人のようだ。

テレビ画面の右上に時刻が表示されている。

九時三十分。

まだゆっくりできる時間。

昨夜のビールの影響か。

頭はぼんやりしている。

耕平はソファーにもたれ。

顔を上げて目を閉じる。

夢を思い出そうとするが。

笑い声が夢のかけらを消していく。

耕平はテレビを消した。

床に散らばるDVDに目を向ける。

一枚手に取り。

タイトルを見る。

カントリーロード・帰郷

帰郷という言葉に目がとまる。

「これが原因か。

妙な夢を見ちまった。」

確かに妙な夢だった。

だが心地いい余韻が残っている。

この余韻に浸っていたい。

そう思った。

喉の渇きを感じると。

耕平はキッチンへ向かう。

冷蔵庫の取っ手に手をかける。

からだを動かしたからなのか。

ぼんやりしていた頭が冴えていく。

現実世界に引き戻される。

夢のかけらが薄れていく。

止められない。

残ったのは。

名前のわからない子供が二人。

耕平は水のペットボトルを取り出す。

キャップを開けるとそのまま口をつける。

冷たい水は喉を通ってからだを潤す。

ペットボトルを持ったままソファーへ戻る。

腰を降ろすと腕を伸ばしてつぶやいた。

「消えちまったか。」

しばらくの間。

耕平はそのままソファーでまどろんだ。

 亜希との約束は夕方四時。

耕平は待ち合わせ場所へ向かった。

そこは駅に直結しているショッピングモール。

駅は主要駅で。

複数の路線が経由しているので人の行き来は多い。

入口には大きな時計台があり。

時計はからくり時計。

時間が丁度になると文字版から人形が姿を現す。

待ち合わせ場所は時計の下。

亜希は待たされることを嫌う。

早く到着すると。

耕平は向かいのベンチに腰を降ろした。

通り過ぎる人の顔に目を向ける。

みな楽しげに微笑んでいる。

これが休日の顔なのだろう。

耕平は自分の顔が気になった。

きっと。

真逆な顔をしているだろう。

家を出たときから。

頭の中は機嫌をとることで精一杯。

亜希が好きそうな話題を探す。

亜希は旅行をするのが好きだが。

今出す話題ではないと思う。

もっと軽めな話題がいい。

ファッションや芸能・・・

ちょっと待て。

そもそも亜希は来てくれるのか。

誕生日プレゼントが気に入らない。

そんな理由で一週間連絡はとれていない。

食事の約束は機嫌を損ねる前の話。

あの日。

今度は中華が食べたい。

亜希はそう言った。

だから中華料理の店を予約したのだが。

状況を考え。

耕平は店を変えた。

亜希の一番のお気に入りはイタリアン

その中でも。

気に入った店がある。

その店はよく雑誌に掲載され。

予約は三ヶ月前でないと取れない人気店。

だから。

四日前に予約が取れたのは奇跡だった。

運が向いてきたのか。

耕平は目の前を歩く男女に目を向けた。

きっと恋人同士なのだろう。

朗らかに話をしながら歩いて行く。

耕平はその二人を自分たちに重ねる。

付き合い始めたときはああだった。

亜希はいつも笑っていて。

気持ちの優しいひとだと思った。

それが今では別人となった。

たった数か月で劇的に変化したのだ。

わがままは強く。

顔を合わせれば服の着こなし。

仕草にも厳しい。

デートを楽しむと言うより。

オーディションを受けているようだ。

勿論。

わがままを許してきた責任はある。

だが。

これが彼女の本性なら。

この先の苦労に耐える自信はない。

別れることは何度も考えたのだが。

ため息がもれる。

耕平は夢のかけらを探してみた。

憶えているのは。

二人の子供に出会ったこと。

顔も名前も憶えていない。

人の脳は一度見たものは忘れない。

そう聞いたことがある。

ならば夢はどうして消えてしまう。

やりきれない思いだけが残る。

もう一度見てみたい。

そう思ったときだった。

ちょっと待て。

あれは本当に夢なのか。

あれが夢なら。

傘を貸した老人も夢なのか。

そんなことはない。

あの老人は確かに存在した。

それなら。

あれは夢ではないのか。

考えれば考えるほど。

わけがわからなくなっていく。

心地よかったはずの夢が悪夢に変わる。

耕平は腕時計に目を向ける。

四時まであと十分。

約束通りなら。

そろそろ亜希が姿を現す。

不機嫌な顔がはっきりと頭に浮かぶ。

憂鬱だ。

そのときだった。

耕平は声をかけられた。

「耕平。」

来たか。

ため息をつくと。

耕平は気持ちを切り替えた。

立ち上がり声の方向に顔を向ける。

そこに女性が立っている。

それは見覚えのない女性だった。

背は亜希より少し高い。

髪は肩まで伸びている。

目鼻立ちはクッキリしていて。

美人とも可愛いとも言えるタイプ。

こんな女性に会っていれば。

忘れるはずがない。

だが記憶にない。

誰だ。

「ごめん。

待った。」

彼女がそう言った。

「えっ。」

「えっ。

じゃないよ。

はやく行こう。」

そう言って。

彼女が背を向けるが。

耕平は動くことができない。

彼女は振り返ると。

不思議そうな顔を見せた。

「どうしたの。」

耕平は彼女の顔を見つめる。

「悪いけど。

君は。」

耕平の問いに。

彼女は怪訝な顔を見せた。

「ねえ。

今日は忙しいんだから。

冗談はやめてよ。

早くしないと遅れちゃうよ。」

だが。

耕平は動くことができない。

本当に彼女を知らないのだ。

耕平の表情から。

それが冗談ではないと察したのか。

彼女の動きが止まる。

からくり時計が四時を刻んだ。

時計は明るく楽しげな曲を流す。

文字盤から人形が姿を現した。

二十一体の人形は。

スウェーデンの民族衣装を纏っている。

ベストは赤で統一され。

スカートは青や黒や黄色。

人形は音楽に合わせてからだを回す。

その華やかな光景に。

子供連れの親子は勿論。

その場に遭遇した者は足を止めた。

だがそのとき。

二人は別の世界にいた。

亜希との待ち合わせは四時。

こんなところを見られたら。

今までの努力は水の泡。

耕平は焦った口調で言った。

「ごめん。

多分人違いだと思う。

俺。

これから人と会う約束があるんだ。

ごめんね。」

笑顔を見せると。

耕平はその場を立ち去ろうとした。

すると。

彼女は駆け寄り耕平の腕を強く掴んだ。

 

この作品は「ゴールドライフオンライン原稿掲載企画 第1弾」の応募作品です。

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