『【天の羽衣アドベンチャー 】【never going back】』

――(思ひ出)久美、進学を諦めて就職――

久美は中学を卒業すると、隣町の漬物工場に勤めた。

最初は家から自転車で通っていたが、勤めて間もなくして安アパートを借り、一人暮らしを始める。

母の家に寝泊まりすると、あの忌まわしい夜が思い出され、身の危険を感じると共に、もし訳の分からぬ男の魔の手に母が嫉妬して、自分を殺すのではないかと、回転迫る色々な恐怖感に襲われるのだ。

 朝から定時まで漬物の匂いのする工場。

若い娘の久美にとって、この工場内の匂いは少し可哀想。

それでも久美は、一年間頑張って働いた。

 久美は、中学卒業と同時にこの漬物会社に就職したのだが、卒業間近い時に、二度ほど中学の担任教師が久美の家を訪問し、母に、

「久美ちゃんは、成績優秀なので、せめて高校に進学させてやって下さい」と、

 久美の母に懇願して来た事が有ったが、母の答えは家計が苦しいからと、選択肢は就職一択のみで有った。

この担任教師は生徒の進路指導の一助として、全員にⅠQテスト行うと久美は132と言う高スコアーだった。無論生徒には結果は伏せたが久美はチラッと見てしまった。が、IQ132がどんな意味を持ったスコアーか知ったのは二十歳を過ぎてからであった。嫌われるから絶対秘密にしよう。

久美は後日母に就学をお願いしてみた。、

「お母さん。私、夜間高校に入って勉強したいので、行かせて貰えませんか?」と、お願いしたが、母は耳を疑う様な事を口にした。

「夜間高校だって?ふざけた料簡を考えず、その分、残業して一円でも多く金を稼ぐ事にしな」

 久美は俯いて唇を噛んだ。母は続けて、

「久美、お前は掃き溜めの中で生まれて、ドブの中で育った様な子供だ。私の言う通り聞いて働けば良いからね!」

 この日から、久美は全身に母への怨念を沁み込ませたのは確かだ。

 新作の漬物が出ると、会社から『ご近所に配って宣伝をして下さい』と、何時も小袋10袋程貰った漬物を母に持って行く。

母は、にべも無く受け取った。

半年に何度かそんな事が有ったが、母の家に帰る度に、母は別な男と暮らしていた。

そんな母を久美は無意識に嫌悪していたが、自分の体の中にも、この母と同じ男狂いのドス黒い淫奔な血が脈々と流れているかと思うと、悲しみと切なさ、自暴自棄が回転し始める。

 生まれた星の暗さを知った。

或る日母に、何を迷ったのか甘えて見たかったのか?。

「お母さん。今度別の会社に転職しようと思うんだけれど・・・」と言うと、母は。

「えっ。今の職場に何が不満なんだい?」

「別に不満は無いんだけれど、今の仕事、何となく遣り甲斐が感じられなくて・・・」と、言うと。

「遣り甲斐?ふん、そんな生意気言うんだったら居なくても良いから死んじまいな。あっ、電車に飛び込むのは止めておくれ。後始末に金が掛かるからね」

久美は、やぱり話すんじゃ無かったと、深い後悔の溜息をついた。

久美は心の自由が欲しかっただけだった。

母の言う通り、遣り甲斐とか達成感とかそんな物が欲しくて言ったのじゃあない。

ただ何となくの表現のクッション枕詞に遣り甲斐、云々と口走っただけだった。

だけど、もっと自由に羽ばたいて見たい。

高校へ進学した者達に負けない翼が欲しい。

こうなったら、明日の事は自分で決めるしか方法は無いと思った。そして、

肌寒い或る雨の日の道端で、濡れ落ちていたチラシを見た。そのチラシの電話器会社工場の求人募集に応募して転職した。

久美は漬物会社を一年で辞めた。

勿論母には内緒で。どうせ無関心なのだから。

娘心に、電話器を造る仕事なんて何か夢が有りそうと思った事も選択動機の一つだった。

 ここでの仕事は流れ作業で、朝から定時までラインに乗って来る電話器に、エアードライバーでネジ締めや、半田付け等の単純作業で、一日が終わると言う日々を送った。が、

この会社には、QⅭ活動と言うサークルが有り、同僚と作業の工程関連図などを書き、作業工程の見直しとか、次工程はお客様などと言った事に、仲間意識連帯感を持ち前向きに仕事に取り込める楽しさが有った。

漬物の匂いからは解放された。が、五感の一つが消えてしまった寂しさが残る。

 この頃から、久美はまだ十七歳だったが、夜寝る時、毎晩焼酎を呑む事を覚えた。

呑む度に、こんなに美味しい飲み物が、この世界に有ったのかと感動さえ覚える。つまみは何時もアタリメだった、歯応えが最高。

渇いた喉に一口目がカット来る炎の焼酎、酒の匂いは清潔に澄んで嘘が無いと思った。

少し酔って紙にマジックで【スキ】と鏡書して、飲兵衛オヤジが抱え呑む、大きなペットボトル焼酎の向こう側に置いて覗いたら【キス】と読めて微笑んだ。可愛い娘だった。

しかし、深酒などは一度も無く、毎朝すっきりした顔で出勤して行く。

久美は、どんな時も、羽目を外した姿を他人に見られるのを極度に嫌う性格だ。

それが、生まれ持った久美の矜持と、甘え育ちを知らない、この娘の悲壮で有った。

――久美失恋――

 久美は仕事帰り、ふらりとウインドーショッピングで大型モールに立ち寄り、2Fに有るゲーセンでUFOキャッチャでピンクの兎のぬいぐるみを獲ろうと試みたが、5回挑戦し諦めて店を出ようとすると、

「あぁ、君はあまり上手くないんだね。僕が獲ってあげるよ」と、

 久美より2、3歳上の感じの青年が近づいて来て言った。久美は、

「もう、諦めましたから良いです」と、言うと青年は、

「僕に一度だけチャレンジさせて。あのピンクの兎だよね」

 と、言って久美が狙っていた縫いぐるみを脇で見ていた様だ。自分のお金を入れてプレーを始める。それを久美は黙って見ていた。

アームを右にし、真剣な眼差しでアーム前進のボタンを押し、ピンクの兎の上に降ろした。

久美はその青年の、真剣な澄んだ眼差しの輝きに見惚れた。

「ほら。成功だ!」ピンクの兎は下の取り出し口に転げ落ちる。

「ぅわっ。凄い、上手ですね」と、

 久美は手を叩いて、青年を微笑み見た。

青年の表情が、どことなく育ちの良さそうなノーブルな面立ちに見えた。

「君は、此処には良く来るの?」

「いえ、今日が初めてです」

「そう。これ上げるよ。持って行くと良いよ」

「良いんですか。すみません。嬉しいです」

「あっ、僕は西村と言います。君は?」

「私は高木・・・と言います」

「そうだ。1Fに美味しいコーヒを飲ませる喫茶店が有るんだけど、もし時間が有るなら僕と一緒に行って見ませんか?」

 久美は、ピンクの兎を抱えて西村の後について行く。若い男女に気持ちの壁は無い。

喫茶店でミルクティーとショートケーキをご馳走になり、久美は西村の問いに言葉少なに語らった。

 西村は、隣県に在る大学2年生だと言った。

この日、久美と西村は携帯番号を交わして別れた。

 何だろう?この胸の高揚感と、ときめきは騒ぐ血潮がほとばしる。久美が初めて抱いた感情だった。この時、西村の名前は陽一と教えてくれた。

 

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