でもあるとき、ふと思ったのです。
「これ(愚痴)、言ったところで……何か変わる?」
変わるどころか、その不満は聞いてくれる人がいると、さらに湧き出てきてしまう。
愚痴というのは、一見ガス抜きに見えて、実は毒ガス発生装置。自分の脳内がネガティブでいっぱいになって、さらにそれを聞く人の心にもじわじわと黒いモヤを広げていくのです。
誰かの愚痴を聞いていると、必ず求められるのが「分かる~! それヒドいね!」という相づち。
これがクセモノです。
うっかり乗ってしまえば、相手の愚痴はどんどん正当化され、次なる“ネタ”が供給されてしまいます。
気がつけば、「愚痴のゴミ箱係」に任命されているのです。
もちろん、人生には理不尽や怒りを覚える出来事が山のようにあります。
私も「え? 何でこうなるのか? 何か悪いことしました?」って言いたくなるような経験をしてきました。皆さんにもきっとありますよね。
でも、そこで愚痴を言ったところで、何も解決しません。
スカッとするのはその一瞬だけ、翌朝にはまた、同じようなモヤモヤとした感情が湧き出て来るのです。
以前、こんなことがありました。
ある日、職場の先輩が大激怒していました。
何かが爆発したかのような勢いで、「ちょっと聞いてよ!」と私をご飯に誘ってくれたのですが私は「少し一人で考える時間にしてください」と伝えました。
「この怒り、私にぶつけられても困るな……」と冷静に思ったのです。
たぶん先輩は「なんで断るの?」と不思議だったかもしれません。
でも、私はこう考えました。
怒りは他人にぶつけるより、自分で整えるほうが未来が見えてくる。愚痴を聞いてもらえなくなったとき、人は仕方なく自分と向き合います。
これがいわゆる「内観」というやつです。