玄関のチャイムを鳴らしたが母は出てこない。最近はいつもこうだ。耳が悪いわけではない。

チャイムが来客を告げる音だという認識がもうできないのだろう。妻が合鍵で鍵を開けて、家の中に入る。

「あー来てたんだ」

母が家に入ってきた私たちに気づくと、特に驚きもせず無表情で言う。

妻は言いにくそうにしながらも、早速話を切り出す。

「今日、この家から離れてサ高住で生活するんだよ、準備はいい?」

「え、なにそれ、私行かないよ」

案の定、この反応だ。

「先週お母さんも一緒に行って契約したし、毎晩電話で伝えてたよね」

「私は絶対行かないから。何で行かなきゃいけないのよ」

電話の時と同じ反応だが、顔を合わせながらの母の拒絶には迫力があった。妻は諦めず説得を試みる。

「サ高住に行けば、お金の管理もしなくていいし、食事も三食出るから自分で用意しなくて済むんだよ。契約したし、入金も済んでるし」

「今まで一人でやってこれてるのに、なんでそんなところに行かなきゃいけないのよ。もうあんたたちは帰ってよ。勝手に決めてきちゃって、本当にあんたたちは迷惑よ」

「勝手に決めてないよ、先週お母さんと一緒にサ高住に行って契約したじゃん」

「あんたたちが勝手にやったんでしょ」

堂々巡りである。父との思い出など蘇る余地もない。

「お母さんが契約したんだよ。もう行かなくちゃいけないの。最低限の荷物だけでいいから、ほら行くよ」

妻が母を促しながら玄関に向かうと、母は先回りして玄関の扉の前に立ちふさがり叫ぶ。

「私、絶対行かないから!!」

埒が明かないやり取りの末、母が背中で隠しているドアノブに妻が手をかけようと母を少し押した瞬間、その場は修羅場と化した。

妻に押された瞬間、母は目をカッと見開き、ものすごい剣幕でドアノブにかかる妻の腕を掴み上げ、思いっきり爪を立てた。

母の爪が妻の肌に食い込み血が滲み始める。続けざまに妻の胸ぐらを掴み、とんでもない力で妻を押し込み羽交い絞めにした。

思いがけない母の抵抗に、妻は今にも倒れこみそうであった。

「やめて!」

妻は言い続けるが、「あんたたちが悪いのよ!」と母の暴力的行動は収まる様子がない。

 

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