トートバッグに買った物をおさめ、さあ帰ろう。はるきはいい子にしてるかな、母もそろそろ文句をいう時間と思ったところで呼び止められた。

「美味しいですよね。この店のハンバーグ」

さっきのやつだった。

ス、ストーカー!と叫びたくなるが、この顔を見たのは今日が初めてだった。

「端的にいいます。少しだけあなたの耳を貸してくれませんか」

「いやです!」

はっきり言えた。勤めている時も専業主婦になってからも散々あるネットワークビジネスの誘いか。保険の営業のスカウトか。変な映像のモデルか。全て経験があった。

耳を貸す。簡単に貸してはならない。それがきっかけで引き込まれる世界がある。

WEBの収入が増えてきたとはいえ、予定外のお金を注ぎ込む余裕はうちにはないし、34歳というこの中途半端な年齢につけこんでくる話に危険な香りのしないものはない。

ほのかはきっぱりと口を閉ざし、携帯電話を取り出して母にかけた。まだ母も出ないのにまわりが振り返るほどに声を張った。

「あ、お母さん。もうすぐ帰るね。今日は智樹さんも会社から早く帰るといってるし」

嘘だった。智樹さんと呼ぶこともないが、夫持ちということを訴えたかった。実際は今日は智樹が遅いので、母がほのかの家で夕食を食べてから帰ることになっているけれど。

急ぎ足で歩いて駅ビルを抜ける時に、出入り口のガラスの映り込みで背後を確認した。

ヤツはいなかった。

変な男の話を母にはいわなかった。61にもなる母なのに、未だに妙なライバル心をかぎ取ってしまう。ほのかがアイメイクを変えた時、新しい服を身に着けた時、「それ、いいわね」という母の顔には女ならではの空気を感じてしまう。まさかねと思いつつも。

母との夕食を終え、はるきのお風呂と最後のミルクを終え、ようやくひとりになり息をついた。

鏡の前で購入したカットソーとパンツを手持ちの服と合わせたりした。お化粧を落としてしまったから少し顔がぼやけてはいるが、うん。まだまだいけていると思った。声もかけられるはずだわとひとりごちて笑った。もっとも今日の男は何者で何が目的だったかわからない。宗教かもしれない。

「ただいま。レシートが玄関に落ちてたよ」

智樹の声がしたので、慌てて服を脱いで袋に戻しクローゼットの奥に隠した。

次回更新は9月10日(木)、20時の予定です。

 

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