「……俺は、妻の願いを叶えてやれない男として、絶望していました」

力なく項垂(うなだ)れると、彼女は静かに俺を見つめ、ゆっくり口を開いた。

「それは、あなたが奥様を心から愛している証拠です。だからこそ失うことを恐れているんです」

言葉に促され、顔を上げた。

「これまでのシミュレーションは、すべて『もしも』の物語です。離婚を選んだ未来も、二人だけの未来も、あなたを深くえぐった。それは、大切なものを失う恐怖の裏返しです」

彼女は、まっすぐ見つめて続けた。

「次は第三者からの精子提供、人工授精で子供を授かった人生を体験します。それは、柴田さんが最も恐れている選択かもしれません。ですが、その恐怖の先にある光を知る勇気を持たなければ、一生この迷宮から抜け出せません」

そして、彼女は微笑んだ。

「大丈夫。あなたはもう十分苦しみました。だから今度は、夫として、そして父親としての幸せを見つけるために、このシミュレーションを体験してください。そのために私たちはいるのです」

その言葉は、心を縛る鎖を解く、希望の鍵のように響いた。

「……わかりました。お願いします」

そう言って、端末を腕に装着した。

『第三者からの精子提供で子供を授かる』シミュレーション

医院から帰宅した妻は、暗い表情でつぶやいた。

「妊娠の兆候なし、だって……」

下を向いたままの妻に、どう声をかけていいのかわからなかった。

「相性がありますからね……提供者を変えてみましょうか」

産婦人科の医師からの提案は、あまりに軽い口調だった。

それは、かつて大学病院で俺が聞かされた言葉と同じ響きだった。

深刻に伝えすぎると患者を追い詰めるから、あえて軽く言うのだろう。だが、こちらの神経を逆撫でするだけだった。

「相性が良くないので、他の人と性交してください。妊娠確率が上がります」

もちろん実際にそんな言葉を口にされたわけではない。だが、提案の意図はそう受け取れてしまう。あまりに安易な響きに、呆れるしかなかった。

数回の検査の後、医師は「無事、着床しました」と告げた。

本当は「妊娠おめでとうございます」と言って欲しかった。だが、医学的な言葉に、喜びは半減した。

それでも、夫としての責任を果たせたような気がした。血の繋がりなど問題ではない。

 

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出産から5日後、震度7の地震が妻と娘のいる病院を襲った。娘が保育器で眠る3階は、上下のフロアに押し潰されたという。

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