ところが、新人の理学療法士は、「関節を固定して歩けるはずがない……」「固められた右足を引きずるだけの事に何の意味があるのか……」「万一の事故があれば大変だ……」と、マイナス要因を上げ連ね、一向に試そうとせずまま時をかせいだ。
結果、その間に母の体力と意欲は確実に後退し、歩ける可能性を一層に狭めた……。そして今日、再三のリクエストがようやく通り、母は久しぶりに歩行器をつかんだ。
しかし、案の定、遅かった……。「倅さん、左足は自力で動くので、右の踵を後押ししてください……」母は辛うじて五歩六歩と小さな歩を進めたものの、これでは自ら歩いたとは言い難く、やはり“歩けた”という実感に乏しいのか、そもそも母の顔に笑みがないのが悔しくてならない。
この感情は、融通のきかない医療者側への怒りなのか、それとも日に日に衰弱の一途をたどろうとしている母へのジレンマにイラだっているのか、あるいは、自分のプランどおりにならないエゴを誰かのせいにすることで、苦しい心を納得させようとしたいのか……。
「あたふたせず、辛い中にも冷静さを……」と、言った奈良井総合病院の木戸医師の言葉を思い出す。
リハビリの後、足のマッサージをしてあげている時、天井を見つめながら母が言った……「あ、あき……あきひこ。あり、ありがとうー」その震える声に、胸が締め付けられた。