天才の軌跡 チャールズ・ディケンズと悪の萌芽

ディケンズが言いたかったのは、父親というものは単に善良であるだけでは不充分であるということなのである。彼が求めていた父親像は、力強い父親像なのであって、力強さのためならば、それに悪が共存することをも認めるという傾向があったのは以前に述べたとおりであるが、この背後には、善良さと弱さから成る人を父として持ったことによる体験が色濃く投影されている。

つまり、善良さと弱さが父の中で不可分であったのと同様、力強さと悪とは不可分であるに違いないと、ディケンズが意識することなしに曲解していたことがその理由としてあることを見すごすことはできないのである。この考え方は、マキャヴェリが権力者に求めていたヴィルトウ(力量)に通ずるものがある。

それでは我々は、ディケンズとともに、弱い父親でしかなかった、ジョン・ディケンズを責めるべきであろうか。答えは否である。というのは彼自身には、このような父親になるべき幼児期の環境があったのであって、彼は好き好んでこのような性格を持ったわけではないからである。

この幼児期の環境というのは前に述べたように、ディケンズの父方の祖父は、ジョン・ディケンズが生まれてすぐに亡くなっていることから生じたもので、父親なしの境遇の中で、ディケンズの父は育ったという事実は、彼の父親という家族内での役割を習う機会を持たなかったということを意味するからである。言い換えるならば、ジョン・ディケンズは、力強い父親像というものを、父を失ったがために自身の中に育てることができなかったのであろう。

そして、彼が外界の嵐から家族を守ることができなかったのもこのことに由来するのではないかと考えられる。

ディケンズは数多くの著作をものにしている。この多作の理由は、金銭的なものも重要ではあるが、一方、彼の心の中にあった彼の父親との葛藤が彼をして、これらの作品を書かずにおれなくしていたという面も無視できないであろう。このように考えると、不幸にも、善良ではあるが、弱い父親像としてしか存在しなかったジョン・ディケンズなしに、この偉大な小説家は生まれなかったことにもなる。

ともあれ、彼は作品を書き続け、後にはこれらの作品を観客の前で朗読し、何とかこの葛藤を解消しようとしていたと考えられる。そして、彼の本を読み、朗読に熱狂していた同時代の人々も、少なからず同様の葛藤をそれぞれの胸の内に秘めていたに違いないのである。

このような意味において、彼は弱者に対して、強い同情を持っていた。言い換えると、彼は守る者のいなかった自身と弱者を、同じ立場にあるものとして見ていたのである。

彼のアメリカ旅行記『アメリカン・ノーツ』には、彼のこのような心情がよく表れている。このアメリカ紀行の中で、この心情が最もよく書かれているのは、彼の奴隷制度に関する文である。

無論彼は誰からも守られることのない奴隷に非常な同情を感じていたのである。そして、奴隷が主人たちからこうむる残酷無比な仕打ちを、当時のアメリカ南部の新聞広告から読者に示している。

例を挙げると(訳は著者、『アメリカン・ノーツ』、ペンギン・クラッシックより)以下のようである。

「逃亡、黒人女一人と二人の子供。逃亡数日前、彼女の顔の左側に、焼きを入れた。Mの字をつけようとした」「ジェイムズ・スウルゲット農園より逃亡、以下の黒人たち、ランデアル、片耳切除、ボブ、片目、ケンタッキー・トム、片側の顎の骨折」「逃亡、アンソニー、片耳切除、左手は斧によって切断」このような例が、三頁にわたって長々と書かれているのである。

今日、このような惨状に同情を感ずるのは当然であるが、当時は奴隷制度の擁護論も強く、このような広告が何らの罪悪感もなく、新聞に出されていた事実を考える時、ディケンズの立場がより明確になるのである。

※本記事は、2019年6月刊行の書籍『天才の軌跡』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。