天才の軌跡⑥ チャールズ・ディケンズと悪の萌芽
『ディケンズの世界』(アンガス・ウィルソン著、松村昌家訳)によると「一八六五年に、ジャマイカで起こった反乱が、エア総督によって厳しい手段で鎮圧された」時、ディケンズは、総督をカーライルと共に弁護したという。彼は手紙に次のように書いている。
「遠隔地の黒人――原住民でも悪魔でも何でもよい――対するあの政策的同情と、流血と野蛮行為のまっただ中で、奮戦しているわが国民に対する政策的無関心を見るにつけて、私は全身に憤りを覚えます。つい先日もマンチェスターで、阿呆どもの集会があり、反乱鎮圧の方法についてジャマイカ総督に対する抗議がなされたのです! こんな調子でわれわれは、ニュージーランド人やホッテントット人のことでも悩まされているのです。
彼等がまるでキャンバーウェルあたりの清潔なシャツを着た人間たちと同じであり、したがって、文書だけで始末がつくと言わんばかりではありませんか……もしジャマイカの黒人たちが、しびれを切らして、先に事を起こしていなかったとしたら、おそらく、何か不都合な気配や疑いなどがなくても、白人たちの方が皆殺しに会う破目になっていたことでしょう」
この手紙の内容は、アメリカ旅行をした時に、精神病院を訪れ、刑務所を見学し、南部の黒人奴隷制について嫌悪の情を示したディケンズ、その小説の中で、犯罪者に対して憐憫の情を示したディケンズと別人が書いたごとくに見える。しかし、ディケンズが力強い父親像を求めていたということを知ると、彼がこの手紙の中に書いた見解と、彼の弱い者に対して持っていた同情は何らの矛盾を含むものではないことがわかる。彼にとってジャマイカの黒人たちは悪であって、それに対するジャマイカの白人たちは弱者であった。この弱者を守るべき総督は倫理を超越した強者でなければならないのである。
カーライルの著書は、ナチス全盛のドイツでもてはやされたという。第一次世界大戦後列強の重圧のもとで、疲弊しきったドイツで、国民の力強い父親像を求めたのには、不思議はない。
ナチス党員、ドイツ国民の大半は倫理を超越した強者を、保護者として求めていたのである。そしてそれを体現したのがヒットラーであった。
カーライルとヒットラーを同一にあつかう事はカーライルに対して不当であることは歴然としているが、カーライルの思想の中にナチスの思想の萌芽を認めぬこともまた、非常に危険なことである。そして、人道主義的といってもよいと思われるディケンズですらも、このような萌芽をその心中に持っていたということは問題の根の深さを示している。