はじめに
コミュニケーションが得意とは言えない私は、文系の大学を卒業し、民間企業に就職し、人付き合いの中で何度もつまずいた。
やがて再受験を経て歯科医師となり、医療の現場に身を置くことになる。振り返れば、その道のりは決して一直線ではなく、遠回りと挫折の連続であった。
その過程で私は、「人はなぜ分かり合えないのか」「なぜ善意がすれ違うのか」という問いを、手放すことができずにいた。
そして、探し続けること約六十年。一つの図に行き着いた。
私がISD(Individual-Social Diagram:個体社会相関図)と名づけたものである。
それを見つけた瞬間、私は直感的に「これだ」と感じた。人と人との関係、個人と社会の相互作用を、驚くほど単純な構造で映し出す図だった。
私はそれを、心のダイヤモンドと呼ぶことにした。
これは成功の物語ではない。
むしろ、言葉にならなかった違和感の積み重ねと長年抱えてきた問いが、初めて“見える形”になった記録である。
もっとも、これはまだ生まれたばかりの仮説である。
それでも私は、この単純なISDという枠組みが、歯科医療に留まらず、より広い分野へ応用できる可能性と、多くの疑問を整理する力を持っていると感じている。
この小さな発見が、今後どのように検証され、どのように書き換えられていくのかは分からない。
ただ、その出発点として、この仮説が生まれた経緯と、そこに見た可能性を、ここに記しておきたい。
本書は一つの図の提示であると同時に、ある約束への答えでもある。その意味は、本書の終わりに記す。
本書は理論の提示を目的とするが、その理論は抽象的思索から生まれたものではない。臨床と人生の具体的な体験の中で、繰り返し問い直され、磨かれてきた構造である。
そのため、まずは私自身の歩みから語ることを許していただきたい。
第一部 揺れる心の膜――TSUの原点
生物は、半透膜によって内と外を隔てながら、同時に結びついている。取り入れるものを選び、排出するものを調整し、その均衡の上に生命は保たれている。
人の心にも、それに似た働きがあるのではないか。世界を受け取りながら、自らを守る薄い境界。
私はそれを「心の膜」と呼びたい。
若い頃、私はその膜が揺れ続けていた。なぜ揺れるのか、なぜ落ち着かないのか、当時は分からなかった。
だが今なら、その揺れこそが私の原点だったと言える。