第一章 T(感覚/起点)――孤立と不適合を「味わった」時期

第一節 孤立と構造化思考との出会い

地方の小さなコミュニティの中で育った私は、人との距離が近い環境を当たり前のものとして過ごしてきた。小学校から高校まで、ほぼ同じ顔ぶれの友人たちと日常を共有し、濃い人間関係の中に身を置くことが自然であった。

高校三年生のある日、進路の話題になり、友人から医学部や歯学部を勧められたことがある。

「血を見るのは苦手だから」と、そのときの私は即座に答えた。当時の私は、本心からそう答えた。

もっとも、高校二年生の時点で文系を選択していた私は、医療系という選択肢からはすでに遠ざかっていた。得意科目に従って選択しただけで、明確な志があったわけではなかった。

将来なりたい職業が、はっきりとあったわけではない。ただ、幼い頃から絵を描くことや楽器を演奏すること、何かを自分の手で作ることが好きだった私は、中学、高校と美術部に所属していた。職業としての志は定まらなかったが、「何かを形にする」ことへの関心だけは、一貫していた。

大学進学を機に上京したとき、私は「大学へ行けば何かを得られる」という漠然とした期待を抱いていた。ただ、新しい世界に触れられるという思いだけを胸に、東京での生活を始めた。

しかし、実際に身を置いた環境は、それまでとは大きく異なっていた。教室には多くの学生が集まっていたが、そこに自然な交流が生まれるとは限らなかった。

大学に入学して、私は受験で封印していた音楽を再開した。オリジナル曲を作れるようになりたくて、一年間、アルバイトとバンド活動に熱中した。生活の主軸は音楽だった。

その一方で、講義を受けては帰るだけの生活が続いていた。満員電車や大講義室の中で、私は一人だった。

私は、誰かが声をかけてくれるのを、どこかで待っていたのかもしれない。自分から声をかける術(すべ)を、その時は知らなかった。クラスは六十五人。顔に見覚えがあっても、言葉を交わしたことはない。名前も分からない。その距離感が、私には息苦しかった。

誰かと衝突しているわけでもない。ただ、反応が返ってこない。自分がどう見られているのか、どこに立っているのかが分からないまま時間が過ぎていった。

当時の私はただ、居場所を探していた。

年度末、不本意な成績表を手にした私は、将来への不安にかられた。学生生活を立て直そうと思い、バンドをやめ、美術研究会に入った。

そんなある日、大学の図書館の片隅で、偶然開いたページの中に“東洋と西洋の価値観の違い”に出会った。意味が分かったわけではない。

「世界はこうも違うのか」「人の心はこんな構造を持つのか」―― 言葉の意味よりも、その「構造の手触り」が胸の奥に沈んでいった。

東洋の静けさと、西洋の論理の強さ。二つが自分の中でぶつかり合い、居場所が分からなくなった。

それから私は何か答えが得られるかもしれないと思い、ジャンルを問わずに本を乱読した。しかし、これだという確かな答えは得られなかった。

 

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