第一章 練習初日

総理大臣が突然、学校の一斉休校を発表してから約二年後。私は生まれ育った新潟市で特別支援学校の教員になった。

地元の高校に通っていた頃は、東京の大学に進学することが夢で、将来は東京で暮らすことこそ幸せと思っていたのだが、いざ都内で生活すると今度は無性に故郷が恋しくなってしまった。

新型ウイルスは、私の学生生活にも就職活動にも大きな影響を及ぼしたが、どうにか希望どおりUターン就職を果たした。

新任教師としての苦労や挫折もあったが、それ以上に充足感や幸福感を味わい、最初の一年が終わろうとしていた。

年度末、三月の職員会議で、校長先生が突然おっしゃったことは「来年度の四月から我が校に男子バレー部を立ち上げます」ということだった。

ほとんどの職員が初耳だったようで、何人かの手が挙がり「顧問は」「活動時間は」「メンバーは」などの質問が噴出した。

教頭先生の説明によれば、顧問を承諾している職員が数人おり、放課後一時間ほどの練習を毎日行うとのこと。卒業する現三年生を除いて四月になったら、新入生も含めた在校生に部員の募集をかけるという。私の知らない間にバレー部は動き出していた。

会議後に、顧問の一人として名前が挙がった外川久美子先生に詳しく教えてもらった。

来年に迫った地元開催の障スポ(全国障害者スポーツ大会)に向けて、知的障害の部・バレーボール男子のチームが県内には存在せず、国体の推進室が各方面に働きかけたものの、チームを確保することができなかったため、本校に白羽の矢が立ったという。

二か月前、一月の校長会で障スポ推進室の職員から男子バレーについての説明があったのだが、その会議で特別支援学校では県内で最も生徒数が多い我が校の齋藤校長に一堂の視線が集まった。

逃げ場を失った齋藤校長は、渋々手を挙げたということだ。