弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事
(2)
「なによ菜戸(さいこ)だなんて。麵屋のおじさん、本気にしちゃうかもしれないでしょ」
「お、おまえ」
「おじさん、湯麵(しるそば)まだ?」
「もうすぐだ。ほら、お待ちどう」
「うわあ、おいしそう」
娘は喜色満面でどんぶりをうけとると、湯(スープ)をすすった。
「おいし~い!」
笑顔がはじける。彼女は、田閔(ティエンミン)をしり目に、猛烈ないきおいで、麵をズルズルやりはじめた。
私は呼びかけた。
「お嬢さん、名前は、なんと言われる」
「楊金英(ヤンジンイン)」
「宮中では、どなたにお仕えしておるのだ?」
彼女は答えず、
「おじさん、このことは、内緒にしといてね。ばれたら大変なことになるから」
と、言うばかりであった。
「う、うむ」
頭の回転は早そうだが、これはもう奇行である。女官が宦官に姿をかえて、門外の屋台に買い食いに来るなんて、きいたことがない。
かわりに、田閔(ティエンミン)が、話に入った。
「叙達(シュター)、厳嵩(イエンソン)どのを知っているか?」
「ああ、いま、南京(なんきん)におつとめという……わしは、何度か、厳嵩(イエンソン)どのの邸に行ったことがあるぞ」
「この子は、厳嵩(イエンソン)どののお屋敷に、お仕えしておったのだ」
そんなら三年前、羊七(ヤンチー)といっしょに訪れたとき、この子は、すでにいたのかもしれない。
「なかなかできる聡明な子だというので、昨年の春、推輓(すいばん)されて、宮中にあがったのだ」
楊金英(ヤンジンイン)は、私たちの会話はどうでもいいとばかりに、一心不乱に湯麵(しるそば)をすすり込んでいた。
そして、ようやく顔をあげたと思えば、
「おかわり」
と、どんぶりをさし出した。
「お嬢さん、すごい食欲だな」
「おじさんのつくる湯麵(しるそば)、おいしいんだもん」
ちゃんと、料理人をよろこばす術も心得ている。二杯目をさし出すと、楊金英(ヤンジンイン)はまた、にこっ、と笑顔をつくった。