【前回記事を読む】母に「なんで勉強しないといけないの?」と聞いた瞬間、視界が火花を散らした。床に血だまりができていた。
一万円で君と会いたい
承 邂逅
それから数日後。夏休みに差し掛かる頃、波瑠さんは、これまでにないほど確かな光をその目に宿して僕に言った。
「……お菓子を作る人になりたいんです」
驚いて顔を上げると、彼女は恥ずかしそうに続けた。
「この間、お友達と食べたアイスクリームが、家のどんな料理より美味しかった。……だから、パティシエになりたい」
その瞳は、どこか見覚えがあった。何かに憧れ、純粋に夢を見る子供の目だ。
「夢を持ってるなんて、すごいね」
僕が心から褒めると、彼女は意外そうな顔をした。馬鹿にされると思っていたらしい。彼女は「パティシエになりたい」という想いをずっと押し殺してきたのだ。
「二人だけの秘密にしてください」
そう頼む彼女の願いを、僕は二つ返事で引き受けた。
指導を終え、辞去しようとする僕に、主である母親が背後から冷たく警告した。
「……娘に変なことを吹き込まないでちょうだいね」
初めて会った時に比べ、波瑠さんは確実に変わり始めている。友達ができ、自分の夢を見つけようとしている。それを止める理由など、どこにもない。
「――はい。わかっています」
僕は短く答え、お城のような屋敷を後にした。
変わっていく彼女のために、この秘密は必ず守ってみせる。
夕闇が迫る帰り道、僕は自転車を漕ぎながら、自分の中に生まれた新たな『守るべきもの』の重みを感じていた。