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第一章 新しい仕事

半年前に入社した高橋清一は営業担当で三十歳だ。大学の情報学部を卒業した後、アメリカのシリコンバレーでコンピューターソフト会社の社員として五年間働いた。

シリコンバレーは、カリフォルニア州サンフランシスコ南部のサンタクララやサンノゼなどを含む地域である。半導体の素材であるシリコンに由来しており、半導体企業が集まってきた。面積は東京都と神奈川県を合わせた位の広さで、約三百万人が住んでいる。日本企業からの駐在員も多く、数千人の日本人が住んでいる。

シリコンバレーのIT企業には、インド、中国、東南アジア、ヨーロッパ、南米など、日本を含め色々な国から来た社員がいる。CEOの経験がある人、数学オリンピックで上位入賞した人、現場経験を重ねながら上に昇ってきた熟練マネジャーなどの人がいる。

社内ではTシャツと短パンとサンダル姿で、フラフラしている一見不審な人が「実は業界では有名人」ということもある。

優秀な人材が集まるだけに競争は厳しく、仕事の評価は厳しい。上司、部下、同僚から評価される三百六十度評価を採用している会社もある。

パフォーマンス評価の時期になると、社員たちは露骨に仕事のアピールを始め、プロジェクトを終わらせようと躍起になる。評価がボーナスや昇進、昇級に直接関係するからだ。

このような環境下では、成果を出している時期は気分良く働けるが、成果が出ないと精神的にきつく必死にもがく。常に最新の技術を習得して、成果を出し続けなければ、すぐに他の人に取って代わられてしまうというプレッシャーがある。将来のキャリアパスが不透明な面もある。

結局、高橋は精神的なストレスで燃え尽きた。技術の進歩、ソフト開発能力、仕事のスピードなどで付いていけず、加えて、語学力、人間関係などでコミュニケーションが上手く取れず挫折した。

五年間のシリコンバレーでの競争でクタクタになり、日本に帰国した。実家が横浜にあり、ハローワークの紹介を得て当社に入社した。コンピューター関係が得意なので、会社のパソコンに不具合が生じると、積極的に対応する。

しかし社長からは、外に出て営業訪問をするようにとよく叱られた。社内業務が好きで、営業訪問は苦手である。他の社員からも「娘のジーナを見習うべきだ」と陰口を言われた。

それでも、ワイン小売店から発注があるときには、社有車に三ダースのワインを積み込んで、東京都内へ配達をする。性格的には少し暗いイメージで、他の社員とはあまり会話をしない。パソコンの操作が一番楽しい様子だ。昼食も皆とは一緒に食事には行かずに、近隣のスーパーや弁当屋から買ってきて、事務所にこもり一人で食べている。

彼は専門がコンピューターソフトなので、再度、ソフト会社に転職しようと考えているのかも知れない。アメリカのシリコンバレーに就職が決まったときは、本人も満足し、家族や友人にも自慢をしたようだ。彼の目指す天職が見つかり、将来を期待していたに違いない。

しかし、五年しか持続できなかった。実家に戻ってからは肩身の狭い思いをしているようだ。コンピューターソフトの上級資格を勉強しているらしい。自分の天職を目指して、諦めてはいないようだ。