【前回の記事を読む】藩主の弟なのに、捨扶持200俵で小さな屋敷へ…世継ぎに残された井伊直弼を、兄はなぜ冷遇したのか

一 初出仕

彼はどちらかというと優等生だった。優等生というのは求められる答えを出すことのできる人間である。

物事にはさまざまな面をもつものがある。条件や状況が異なれば同じ問題でも異なる解決の在り様がある。

しかし優等生にとっては、設問者が期待し予想する答えを出すことが肝心なのである。社会においても親や目上の人々の期待に応じた行動をとることのできる人間が社会の優等生である。

教師や親や目上の人間が言うこと、あるいは教科書に書いてあることに疑問を感じたり、ましてや批判したりすることのない人間である。

自分に与えられた課題に対しては、それをばかばかしいと思ったり、無意味だと思ったりすることなく、積極的に取り組んで期待される成果を出すことだけを考えている。

徳三郎はそういう若者だった。これに対して天才型の人間は他の人々が当然と思っていることに疑問を抱き、他の人々とは全く異なる視点と発想から、思いがけない「正」の回答を引き出す人間である。

失敗すると人々は彼を「狂人」と呼ぶか、よくてもせいぜい「変わりもの」の烙印を押すことになる。

徳三郎は自分のおかれた立場や境遇に不満を感じたり疑問を感じたりしたことはなかった。ましていわんや殿様や上役の言動に批判めいたことを言ったこともなかった。

だから、両殿の小姓兼帯と言われても、仕事量が増えることになるな、と思いはしたが、特に不満を感じることもなかったし、ご家老が「直弼様の言動に気になることがあれば、伝えるように」と言ったことに対しても、特に裏にある意味について考えてみることもなかった。

新しい境遇に不慣れな若殿が失敗したりすることのないように、ご家老としてその言動を知っておきたいという程度の意味であると思っていた。

ところが彼はこの時、朋輩たちの話の中に批判や不満のような響きがあることに気付いて、戸惑い、意見を言うことができなかったのである。

その夜、徳三郎は父にどういうことかと聞いてみたが、父は「徳三郎、お前のすべきことは、両殿様に陰ひなたなく誠実にお仕えすることだ。ご家老のお言葉は特に気にすることではない。忘れてしまうことだ」と言っただけだった。

翌日直弼が中屋敷に到着したが、供はわずか十名ほどであった。徳三郎たちも玄関前に集まりお出迎えした。

直弼は挨拶する家臣たちにうなずきながら、やや太り気味の体をゆっくりと奥に運んで行った。それからひと時ほどの休憩の後、小姓たちが呼び入れられ直弼に紹介された。

徳三郎が若殿にお目見えしたのはこれが初めてであった。そこには、中屋敷留守居の村山と三浦、直弼が御世継ぎになる前から付け人として御世話していた安東七郎右衛門、新たに若殿付きの小納戸役に任命された大久保小膳、青木十郎次らが並んで座っていた。