やりとりは教壇近くの生徒にも聞こえていたはずだ。先生は明らかに不機嫌になった。私はそんなことどうでもよかった。フェアじゃない勝ち方に我慢がならなかった。ただただ「てる」に対して申し訳なかった。彼女の「好き」を汚されたような気がした。
家に帰って父親に話すと、「点数くれるいうんやから、もらっとけばええのに。バカじゃのう」と言われた。自分の行動を褒めてほしかったわけじゃない。人として正しいことをしたと報告したかったにすぎない。なのにバカよばわりされたのが癪に障った。話すんじゃなかったと後悔した。少なくとも「てる」のことには触れなくてよかった。
私は社会のテストだけは毎回満点をめざすことに決めた。恵まれた条件にある以上「てる」に負けるわけにはいかない。与えられた条件はちがっても、正々堂々と勝負することを彼女も望んでいると信じた。
担任教師の依怙贔屓はその後もなくならなかった。むしろ私を試すかのように毎回まちがっている箇所にまるを付けてくる。私はすぐに教壇に向かった。そして私のほうから「てる」に点数を聞きに行った。
「てる」が初めて私の社会の点数を上回ったときの喜びようといったらなかった。私も徹夜で勉強しただけに相当悔しかった。いつかこの日が来ることは覚悟していた。彼女の歴史への熱量は自分とはまるでちがっていたから。
秋になり、冬が近づくころには、勝ったり負けたりの関係になっていた。厳しい条件でもあきらめない彼女を尊敬し、暇な放課後には時々彼女の歴史談議に付き合った。私にはクラスにほかに好きな女の子がいたけれど、歴史を語るときの「てる」の横顔が大好きだった。
中学二年生のときに、彼女の住む団地まで行ったことがあった。年末に近い冬の日だったと思う。私は委員会活動か何かで遅くなり、夏にはまだ明るいはずの学校はすっかり夕闇に包まれていた。部活帰りも含めて、校門付近には真っ黒な生徒たちの影がうごめいている。
私は自宅とは反対の商店街のほうに用事があったので、門を左に出て足早に歩き出した。
少し前を分厚い学生かばんを手にした見覚えのある歩き方を見つけた。
「おーい、てる!」私が声をかけると影が振り返るのがわかった。
セーラー服の黒い影は「あれ、どしたん、遅いねえ」と笑いかけてきた。
「お互いさまやん、何しとったん?」二つの影は並んで進む。
次回更新は8月5日(水)、11時の予定です。
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