三校目の職場での経験
ヘローナを語らん会
二〇二四年一月、とても懐かしい方々との出会いの場が五年ぶりに設けられた。
西暦二〇〇〇年、現在の文部科学省、当時の文部省の短期海外派遣教員使節団として、スペインのバルセロナと、同国のカタラン地方にある田舎町ヘローナへ、私たち二十二名が出向いたのである。
その派遣団の懇親会を毎年正月に開催していたのだが、新型コロナウイルス感染症のため、ここ五年間中断していた。それがこの年、ようやく開催できることになった。
すでにスペインでの経験を得てから二十四年が経過していた。私も含めて集まったメンバーの半数以上がすでに定年退職をしていた。そのほとんどが校長や教頭の経験者であり、私のように最後まで教室での授業にこだわった者は希であった。
それでも、全員がこのつながりを大切に考えていて、年に一度の出会いのひと時を楽しみにしている方ばかりだった。
海外でともに過ごしたのは、十六日間に過ぎなかったが、派遣団の絆と結びつきは強く、何と今年で二十五年、四分の一世紀も交友が続いたのである。さすがに二十六年目以降は定期的な会合は行わないことになったが、SNSの中でグループを設けて、その中で連絡を取り合っている。
私がこの派遣団に参加したのは、中学校の教員となって十七年目、異動を重ねて三校目の時だった。結婚して娘が生まれ、当時は四歳と二歳の娘の父親であったが、次女は耳が不自由であることがわかった年でもあった。そのために同業に就いていた家内は、泣く泣く離職する決断をした。そんな頃だった。
当時、私自身も学級担任としての力量不足から大きな壁にぶち当たり、担任を離れて、教務主任という学校全体の雑務のすべてを取り扱う仕事をしていた。一校目、二校目と勢いだけで闇雲に走ってきたが、それだけでは通用しないことに気づいた頃でもあった。
幸いなことに、その年に着任した校長先生が、短期の海外派遣のメンバーに推薦してくれたのである。