【前回の記事を読む】近年教師らが置かれている状況は、私が現職の頃と何ら変わらない。心を病んで休職した人が沢山いるが、その支えになるすべはない。
はじめに
卒業式
「先生、今回は娘がお世話になりました」
「おめでとう。頑張ったね、気持ちの優しいいい子に育てたね。本当にいい子だ。ここまで本当によく頑張ったね」
私は、ありきたりの世辞のつもりでそんな発言をしたが、彼女は両手で顔を覆って膝から崩れ落ちてしまった。
「どうしたの、どうしたの。ほら、みんなが見てるよ。さあ、椅子に座って」
私は抱き起こすようにして彼女を椅子に座らせた。
「だって、今まで誰もそんなことは言ってくれなかったから……」
私は、これまでの自分自身の教師としての在り方を大いに反省した。
教師は、学校の先生は、この程度の誉め言葉やねぎらいの言葉を口にしないのか。
もしかしたら、自分自身も含めてそうなのかもしれない。いや、ずっとそうだったのかもしれない。
日常の学校生活の中で、目立ったリーダーたちや優秀な学力を示す生徒とその保護者に対しては、自然に誉め言葉が出てくるが、問題の多い生徒や反抗的な生徒、不登校の傾向にある生徒とその保護者に対しては、改善の要求ばかりが多くなり、その保護者の苦労を察したり、思いやったりすることは少なかったのかもしれない。
自分自身が二人の娘の親となり、その子育てが決して順調ではなかったことを思い返すと、「よく頑張りましたね」「苦労しましたね」というねぎらいの言葉が、ほんの一言でもいい、誰か一人からでもいい。ほしい時があるのだ。
学校生活が上手くいかない生徒の母親も父親も、みんな苦しんでいる。泣きたいくらいの思いで悩んでいる時があるのだ。母親として卒業式を迎えたこの女性も、いくつもの険しい峠を、心の中で泣きながら越えてきたに違いない。その苦労はねぎらわれて当然である。
卒業式には、慣例として、式辞、告示、祝辞などが必要以上に長々と続くが、型通りの祝いの言葉や今後の将来に対する助言などよりも、保護者の苦労に対するねぎらいの言葉に重点を置いてほしい。「大変でしたね、苦労しましたね、つらかったでしょう」
そんな言葉を保護者の方へ向けてもっともっと言ってほしいのだ。言ってあげるべきなのである。