大学時代の思い出
私をつくってくれた先生
近年、教員を志す若者は、大幅に減少しているという。その理由のひとつは過酷な勤務内容であり、経済面での不遇であろう。確かに余暇の時間の豊かさや収入の額を考えるならば、選ぶべき職業ではない。四十年勤めてみて言えることだが、ゆとりのあるのんびりとした生活を求める若者には、とてもお勧めできない。
しかし、それでもなお「教職に就く魅力は?」と聞かれるならば、「後々、次世代の人々に自分の思いを伝えられる」ということではないだろうか。
現在、思い返してみると、教員としての私自身に大きな影響を与えた先生が三人挙げられる。
「国語」という分野で考えるならば、大学時代に「詩歌論」を学んだ神保光太郎先生である。
今は亡き、神保先生は、実際に少人数教室で学生一人一人に短歌を作らせ、その評価をしてくださった。私は、短歌や俳句であまり誉められた経験がなく、苦し紛れの一首をひねり出して提出したのだが、私の書いている傍らに数分間立ち止まり、「うーん、いいね」と言ってくださった。たしか、こんな歌だったと思う。
待ち人を 待ちてなんどき過ぎたやら 来ぬ人待ちて 街は暮れ行く
当時、私は、この神保先生の「うーん、いいね」に、だいぶいい気持ちになっていて、周囲にそのことを吹聴したのだが、後で何人かの先輩たちに話を聞いてみると、同様な経験をした方が何人もいることがわかった。とんだ勘違いのお調子者である。
それでも、晩年の神保先生の一言一言はとても重かった。最後に色紙に書いてくださった「冬日可愛(とうじつあいすべし)」という言葉は、現在でも私の生きる指針となっている。
「冬の日差しのように、寒さに凍えている旅人の心に、わずかでもぬくもりを与えられるような、そんな人になりなさい」という教えだった。
「英会話1」という講座のA先生にはずいぶん鍛えられた。とてもうれしいことにA先生は、いまだご健在である。A先生は、当時から国際政治学の権威であり、そんな先生がなぜ「英会話」の講座を受け持っていたのかわからない。しかし、何度思い返しても厳しい授業だった。
最初の段階は、配布された英字新聞の記事をその場で翻訳して概要を発表するという授業だった。
中学、高校と英語には苦労したが、その英語力の乏しさを徹底的に酷評され、今まで経験したこともない辛辣な言葉を、「これでもか」というくらい数多く浴びせかけられた。
最初に教室にいた学生の人数が、翌週には半分になり、その翌週には四分の一になり、最終的には、五、六人になり、そこでようやく英会話の授業が始まった。
この授業では、英語力も鍛えられたが、それ以上に「鉄面皮の力」というべきものを頂いたような気がする。この体験以後、多少の誹謗中傷は身に応えなくなった。
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