亀島と人間は仲を深めるスピードが今まで出会った人間の中で群を抜いて速かった。
もちろん共通点が大きかったのもあるが、彼女の人を受け入れるセキュリティがセキュリティの様相を呈していなかった。信頼というものをケチらない人間だ。出し惜しみをしない。
もったいないとは思わないのか。人間不信というのはコスパがいい防衛本能なのに、彼女はそのコスパを完全に無視している。
次に会ったのは3日後だ。学食ではなく、大学の近くの小さな本屋だった。そこは文房具やガチャガチャに押されて、もはや本屋の様相を呈していないような最近の本屋ではなく、選書がしっかりされた古き良き本屋で私も良く利用していた。
お互い別の用事で偶然いた、という体だったが、私は彼女のSNSから行動パターンを把握していたから、偶然ではない。完全に計算された偶然だ。世の中の偶然の半分くらいは多分こういうものだ。
本屋というのは都合がいい。会話の切り口が無限に転がっている。
好都合なことに私は本の虫である期間が長い。
あの人が教育セミナーに狂わされて本を読み始めた小学生、地域の図書館で何でもかんでも読んだ中学生、狡い手で稼いだ身銭を切り詰めて本屋に走った高校生、芸能界での糸口をつかむために手段として使う大学生。
イントロが1分近くある曲は自分から再生リストに入れたくせに我慢できずスキップしてしまうし、意気込んで映画を見ようと思っても開始10分も経てば、いつのまにかスマホで一生使わないであろうTipsを教えるショート動画を見ている。私はドーパミンの傀儡だ。
しかし、なぜか本となれば話が別になる。活字であれば、時間を気にせずに読める。現代で騒がれている活字離れの逆流を行っている。私はつくづく逆張り野郎というか、天邪鬼というか。
物語や議論の世界に放り込まれた時、現実にあるわだかまりとか気にも留めたくないようなことが綺麗さっぱりとは言わないが、脳のリソースを占めなくなる。本の世界に没入できていると言えば聞こえはいいが、言ってしまえば現実逃避と何ら遜色ない。
本を読んでいる時は何者でもない自分がいるのだ。K大の聡明な学生でもなく、芸能界の下層でもがく新人タレントでもなく、あの手この手でここまでやってきた悪女でもなく、本山千晴という一人間になれる。舞台から降りれる。パフォームする必要がない。
本と向き合っている時にしか本当の私がいないのかもしれない。そう言ってしまうのは過言なのかはあまり考えたくなかった。それはアイデンティティの喪失を暗に示しているだけだから。今に見てろよ。本なしでも満足できる地位を芸能界で築いてやるからな。おい。
次回更新は8月18日(火)、16時の予定です。
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