【前回の記事を読む】「顔だけで売れた女優」だと思っていた女が、まさかの同じ大学の学生。軽く尾行してみると、彼女の"素顔"が判明して……
9.友だちを殺してまで
自己紹介のタイミングは昼食の終わり際に来た。
「ごめん、名前聞いてなかった」と亀島が言った。
「本山千晴です」と私は答えた。
彼女が名乗った。亀島紗良、と。
私はここで、準備していた反応をそれはそれは丁寧に使った。
「え、」と言って、少し間を置いた。
間を置くのが重要だ。すぐに反応すると芝居がかって見える。人間の本物の驚きには必ず一拍の遅延がある。パソコンで言えば、突然カーソルが動かなくなった数秒後に、その遅れを取り戻すために高速でのたうち回るようなものだ。私はそのディレイを再現した。
「亀島紗良さん?」
「そう」と彼女は少し身構えた。よく見ると、身構えていた。ほんの少し、肩が上がった。有名人特有の防御姿勢だ。これから来るのが過剰なリアクションか、あるいは無遠慮な質問か、値踏みしている。
「知ってます、もちろん。でも正直、こんなに頭が動く人だと思ってなかった」
軽く微笑むと同時に、亀島の肩がほんの少し下がった。警戒を解いてくれたということだろう。
「頭が動く、って」
「会話してて、こんなに気持ちいい人ってあんまりいないんですよね。論点がブレないし、人の意見を否定しながら肯定できるし。それって割と特殊な能力だと思うんで」
彼女は少し面食らった顔をした。今度は彼女が面食らう番だ。
きっと誰もそんな切り口で褒めたことがなかった。可愛いとか、綺麗とか、そういう言葉なら聞き飽きている。外見を褒めるのは相手の努力をほとんど褒めていない。遺伝子を褒めているのに等しい。生まれ持ってきたものを褒めるのは、ある種の侮辱に近い。
「なんか、変な褒め方」と彼女は笑った。
「本当のことしか言ってないです」
これも嘘だ。
本当のことしか言っていないのは確かだが、言う目的が不純だ。でも不純な目的から発せられた本当の言葉は、本当の言葉だ。受け取る側にとっては。それで十分だ。
連絡先を交換したのはその流れで、まるで自然なことのように。亀島のセキュリティの甘さは第一印象とは変わらなかった。人間を疑うことに慣れていない人間の交換の仕方だ。
スマホを差し出す時に一瞬の躊躇もない。そういう人間は、信じることの痛みをまだ十分に知らない。今から知ってもらうことになるが。
その夜、帰り道に思った。
これは思ったよりうまくいくかもしれない。そしてうまくいくことへの予感と同時に、もう1つ別の感触があった。うまく名前をつけられない感触だ。気持ち悪い、というほどでもない。でも単純に、良い、というわけでもない。今は考えなくていいことだ。