2回目は個室のある和食店。照明が落ちていた。

『偶然』が成立しない距離感に踏み込んできた証拠だ。高畑の中で何かが1段階進んだ。慎重な男ほど段階を丁寧に踏む。その丁寧さは裏を返せば、この男が失うものを意識しながら動いているということでもある。

失うものを意識している人間は、それを盾にされた時最も脆い。脆い場所を把握しておくのは基本だ。人体で言えば急所を知っておくようなものだ。

照明の落ちた個室で、高畑はまた喋った。今度は少し個人的な話が混ざった。

妻との関係が冷えている話。仕事のストレスが溜まっている話。自分がいかに孤独で理解されていないかという話。不倫に走る中年男が必ず語る、テンプレートの告白だ。読んだことある。この展開、世界中で何万回繰り返されてきたのか。

男というのは不倫を正当化する時、必ず「妻とは終わっている」か「仕事が辛い」か「誰も分かってくれない」のどれかを使う。使い古されたコードだ。でも機能するから使い続けられている。

こんな私が一丁前に愛とかは語れないが、この男の行動は倫理的にはバツが付くことくらいは分かる。だが、それを肯定してやる。それが次のステップに進む最善の手なのだ。倫理の道から外れたもの同士、肩組んで地獄まで行こうや。

私は適切なタイミングで頷いた。共感のふりをした。人の話を聞くのは得意だ。聞きながら別のことを考えることも得意だ。この2つのスキルがホステス業の核だと思っている。

3回目は高級フレンチ。夜の10時。

呼び出された時間が全てを語っている。夜の10時、2人きり、個室、キャンドルの光。尻の青いガキでも文脈は読める。私はそんなガキじゃないので、もっと精確に読める。そしてこの夜のために準備していたものが、バッグの中にある。

席に着いてすぐ、さりげなくバッグの中でスマホを操作した。

画面を見なくても押せるまで反復練習したレコーダーの録音ボタン。家電量販店で1番いい奴を買ってきた。性能は妥協しない主義だ。布越しの感触で「REC」の起動を確認する。何事も反復が基礎を作る。

こんなみみっちいコソ練、他にやっている人間がどれだけいるか知らないが、私は3週間かけてマスターした。努力の方向性がおかしい自覚はある。でも有効だからやる。それだけだ。

次回更新は8月10日(月)、16時の予定です。

 

👉『who am I』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】熱いキスをすると彼女の頬が染まり、どきどきしているのが伝わってきた。僕は激しく、優しく彼女を抱いて…

【注目記事】気が付くと既婚者の女性と2人きりで飲んでいた。記憶はないが、そのままホテルに行ったらしく…

 

ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp