【前回の記事を読む】2回目は照明の落ちた個室だった。彼には元アイドルの妻がいたが、「妻とは終わっている」と不倫を望んできて——
8.THE WORLD IS MINE
「千晴ちゃんさ」
高畑がワインを傾けながら言った。余裕を演出した声だった。
でもその余裕の裏に何かが渦巻いているのが分かった。欲望というのは本当に正直だ。どれだけ取り繕っても、声に滲む。目に出る。空気に乗ってくる。人間の身体は嘘をつけない。それが分かるようになったのも、ホステス業の副産物だ。
「芸能界、本当に興味あるんでしょ?」
来た。
「あります。ずっと前から」
声のトーンを調整した。期待と緊張が混ざった質感に。この調整は今や無意識にできる。半年間で声は楽器になった。演奏できる感情の幅が広がった。自分でも少し引く時がある。でも使えるから使う。
「俺ね、番組関係の人間、結構紹介できるんだよ。ちゃんとした人を」
「ちゃんとした人」の中身を、高畑は説明しなかった。説明する必要がないと思っているから説明しない。その省略の中に、この男の品性の総量が詰まっている。ちなみに品性には最初から期待していないので、問題はない。品性ゼロの人間を動かすには品性以外のものを使えばいい。
「本当ですか」
少し前のめりになった。計算した前傾姿勢。男の視線が変わるのがわかった。
「もちろん。ただ、俺もさ、千晴ちゃんのことをもっとよく知りたいなって思って」
もっとよく知りたい。
法的にギリギリのラインを踏まない言葉選び。曖昧な言葉は証拠にならないと思っているのだろう。
でも録音が存在する時、曖昧な言葉の連鎖は文脈を作る。この後の展開が全部入れば、文脈は自明だ。端的に言えば、身体目的ですということだろう。
不貞行為を堂々と働いて恥ずかしくないのか。というか一傍観者として率直に思うのだが、この業界の人間は全員、下半身の管理が緩すぎないか。
民法を知らないのか、あるいは知っていても自分には適用されないと思っているのか。後者だとしたら相当頭が悪い。でも頭が悪い人間は使いやすい。
私は曖昧に微笑んだ。YESにもNOにも読める角度で。
人間は見たいものを見る。欲望の前では特に。欲望はバイアスの最大化装置だ。
その夜、私は高畑と同衾した。
抵抗はなかった。強いて言うならば、TLマンガみたいだなと思った。もうちょっと高畑の顔がかっこよくて、自分の言動がポエミーだったら、もっとそうだろう。
抵抗という概念が私の中では別の引き出しにしまわれていた。高校時代に3年間かけて、自分の身体と精神を薄い膜一枚で切り離す感覚を刻み込んだ。膜の外で起きていることは、出来事として処理する。感情の話じゃない。これは取引だ。取引に感傷は要らない。ビジネスライクに行くぜ。