父が誰にもぶつかられないワケは…
満員電車を降りて乗り換える、あの数十秒がずっと苦手だった。
ホームを行き交う人の波は、誰も道を譲らない。ぶつかった相手は、詫びるどころか振り返りもしない。私は軽んじられているのだ。
ただ、ひとつ不思議なことがある。父と出かけると、私は誰ともぶつからない。いつもは肩を削り合って進む雑踏が、父の隣ではやけに広く感じられるのだ。子どもの頃は気にも留めなかった。けれど同じことが何度も繰り返されるうち、私の中にひとつの結論が芽生えていった。
人は、目と身長しか見ていない。
背が高ければ、ぶつかられない。目つきの鋭い人間にも、誰も寄っていかない。面倒ごとを避けたいからだ。
だが、三十を過ぎて、今さら背が伸びるはずもない。身長ばかりはどうにもならない。ならば、何ができる。
「そうだ、鍛えよう」
その日から、肉体改造に精を出し、ある日、ふと気づいた。最近、誰ともぶつかっていないことに。拍子抜けするほど、簡単なことだった。
あとは、心の持ちようだ。人はこちらの殺気を、どうやら皮膚で嗅ぎ分けるらしい。心持ちひとつで、雑踏がすっと割れていく。私は自分の発見に、ひそかに酔っていた。
そんな日々を半年ほど続けた、ある休日のこと。
少し前に足を痛めた母を連れて、家族で出かけることになった。前を歩く父の背中を、私はなんとなく眺めていた。父は母に寄り添うように、半歩だけ先を進んでいる。段差はないか、人とぶつからないか。何度も、何度も振り返っては、母の歩調に自分の歩幅を合わせていた。
人とすれ違うたび、父はさりげなく母を自分の内側にかばい、風よけになるように立ち位置を変える。母が少しよろけると、言葉もなく、そっと肘を差し出す。
目つきを鋭くするでもなく、体を大きく見せるでもない。殺気などとは、いちばん遠い場所にいる。父はただ、母のことだけを考えていた。それなのに、いや、だからこそ、人は自然と父たちを避けて通っていく。
父のまわりだけ、雑踏がやわらかくほどけていくのだ。
私はそこで、気づいてしまった。
私はこの半年で、たしかに誰にもぶつからない自分を手に入れた。けれどその代わりに、心のやわらかさのようなものを、どこかへ落としてきてしまったらしい。ぶつからない歩き方を探し続けた果てに、私はいちばん大切な、誰かに寄り添うということを、どこかへ置き忘れてきていたのだ。
父の背中は、今日もやわらかい。その半歩うしろを、母がゆっくりと歩いていた。
牡丹さん(30代・女性)
【あなたにも「家族との忘れられない思い出」ありませんか?】
ゴールドライフオンラインでは、読者の皆さまからさまざまな体験談・エピソードをお寄せいただいています。
今回募集するのは、「家族との思い出」です。
お寄せいただいた体験談は、ゴールドライフオンラインに掲載させていただく場合がございます。
<応募方法>
・こちらのメールアドレス(glo_henshu@gentosha.co.jp)またはゴールドライフオンラインの投稿フォームまで、以下をご記載のうえお送りください。
お名前、年齢(年代でも構いません)、性別、ご連絡先(メールアドレス)、体験談のジャンル、体験談本文(文字数300字程度~)、掲載時の表記希望(匿名をご希望の場合はイニシャルあるいはペンネームをご記載ください)
※お寄せいただいた体験談をご掲載させて頂く場合は、プライバシー配慮などのために体験談中の場所や固有名詞等の情報の一部を編集部で変更させていただく場合がございます。
母に言われたあの言葉、治らない夫のクセ、今だから言える秘密の恋…【体験談特集】はコチラから
👇その他の体験談はコチラから