【前回記事を読む】1840年から1842年にかけて行われたアヘン戦争。英国は世界最大と呼ばれたアームストロング大砲で皇帝の住む紫禁城を……

天狗の申し子

その後五六年から六〇年の第二次阿片戦争(アロー号事件)も英国に仕組まれ、フランスが相乗りした。若い皇帝は紫禁城からは見えない天津の軍艦から打ち込まれた大砲と聞き、一瞬にして戦意を喪失した。

清国はここでも惨敗し、英国が清国人を海外に売る権利苦力(クーリー)貿易を公認させられ天津や寧波(ニンポー)などの港を開港させられた。また香港に隣接する九龍(クーロン)半島についても香港返還時点までの一〇〇年間の割譲を認めさせられた。

英国は自国だけが欧米諸国から妬まれることを警戒して、日本に来ているフランス、オランダ、ロシア、米国などに英国式支配要領を推薦し、清国内の開港地内に租界地を共同で作り欧米の国内のように美しく立派な都市を建設した。

上海の租界地はその中で最大規模で最も美しいと言われているそうだ。

「以上は出島に来ているオランダ人が幕府に提出したオランダ風説書という海外事情に基づく話だ。自分で直接上海に行き確かめたいと強く思ってきたが行けそうにない。

晋作さん。私は晋作さんに行って欲しい。あなたの目と耳で現地が置かれている真相を確かめてきて欲しい。

狙いは、長州を、それ以上に日本を第二の清国にしない策を見付けることだ。英国の植民地にされることを避け、日本国内で英国の好き勝手な振る舞いをさせない為に長州はどうすればいいのか、その策を見付けてきて欲しいのです」

更に桂は熱っぽく語り続ける。

「その現実を晋作さんが確かめることは、長州藩にとってまた日本国にとってかけがえのない情報になり、今後の長州と日本の進路について正しい方向性を示してくれる筈です」

桂はそう言い切った。慎重居士(しんちょうこじ)の桂にしては珍しい断言ぶりだった。

桂は晋作が早くから欧米視察を切望していることに着目し、折から幕府が有力藩の若者を上海に連れていく募集をしていることを利用して晋作を上海に誘うことを提案した。

そこまで言われて晋作の好奇心と自負心の炎は煌々と燃え上がった。

吉田松陰から聞いた阿片戦争の話を思い出していた晋作は、松蔭の志とその無念さを胸に大きく息を吸い込んで大声で叫んだ。

「私を上海に行かせてください」

桂は晋作に幕府主催の上海視察に行くことを勧めて、晋作を長州無頼派からまずは引き離すことに成功する。