13 半夏生

半夏生の名前を聞いたのは3年前である。隣りに座った風流な古老から聞いたのだ。

花は小さく葉が印象的だという。緑から白へ、全部の色を変えるわけではなく、半分だけを白に変える。花が終わるとまた葉は緑に色を変えるという。その花の様を丸く切り取る窓が京都にあってとても雅だと。魅了される美しさとはどのようなものか。それ以来、半夏生を探してみるものの、いまだ見つけるに至らない。

半夏生を見つけていく中で、白く葉先を変えてすっくと立つ植物を見つけた。名前をヤマボウシという。そっと雪をかぶったような美しい植物である。

このヤマボウシは自分の名をきっと知らない。知らないだろうけれども美しい。自分が愛でられ、賞賛される存在であることを、このヤマボウシは知っているだろうか。幼い頃、大きな花図鑑を持っていて、暇さえあれば眺め、時間つぶしをしたものだ。

かわいらしい響きのする名前をたくさん持っている花を特に気に入っていたと記憶している。私は、自分の名にコンプレックスがある。凝った名でも、難しい字を使っているわけではないのだが、誰も私の名を一度で正しく呼ぶ人はいない。

名を知られないというのは、それはそれでなかなかにわくわくする。匿名的でありながら、存在だけが認められる。なんだか蠱惑(こわく)の香りがするではないか。

半夏生を調べてみると、「毒が降る」というキーワードが出てきた。どうやら「夏越し大祓」に関連するものらしい。名前というのは、気にかけているだけで、しゅるしゅると触手を伸ばし、知っている言葉とつながっていく。

昔から、目の前をよぎるもの、聞きかじった響きの良い言葉について、とても興味を持ってきた。川の名前、山の名前、名の由来、出会う方々の持つ名と、その名が発しているメッセージを。

古老はたくさんの名を持つ蛍袋の存在を教えてくれた。たくさんの名という言葉から、私は〝多様〟〝変容〟の単語を連想した。あれから数年を過ごし、私は変容しただろうか。まだまだ変わっていけるのだろうか。必要に応じて、段階に応じて。言い換えれば、変容とは環境による受動性なのかもしれない。

最近、神社でつけられた自分の名の由来を知る機会があった。考えてみれば、生まれてこの方、この名前と生きてきた。親しい人はこれからもこの名で、私を呼ぶのだろう。

時折、自分の生まれてきた意味を考える。目の前にある〝今〟の積み重ねが、私を構築してきた。それならば、自分らしい強さと向日性を見つけていくことが、自らを慈しみ大切にする手立てなのかもしれない。つらつらと考えていたらヤマボウシが風に揺れた。優しい風情である。

 

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