【前回の記事を読む】誰もが知る「名女優」になって初めて分かった、芸能界の真実。外から見れば華やかだが現実は真反対。まるでガラパゴスのような……
2.幼さを入院させて
いつからか、『お母さん』という言葉を声に出すことができなくなった。残酷にもそこに血縁的関係はあるが、私はそれを認知したくない。目を向けたくない。それほどまでに私の中では触れてはいけない存在になっている。
どんなに巨万の富を築き上げていたとしても、相続放棄してやる。どんなに重病に侵されていたとしても、びた一文も金銭は払ってやらない。
あの人のことは『あの人』と呼ぶことにした。それは抵抗だ。消極的で惨めな、だがそれしか私には残されていなかった、最後の砦。
母と認めることを、私の口腔が、喉が、肺が、拒絶している。体が正直なのか、心が限界なのか。どっちでもいい。とにかく『お母さん』という音の並びが、私の中では完全に死んでいる。
本山優子。
一言で言おう。ハリボテだ。外面豪華絢爛、内面オンボロ。
参観日には清潔なワンピース。担任への連絡帳は几帳面な丸文字。PTAの懇談会には皆勤。廊下ですれ違えば会釈、声をかけられれば柔らかな微笑。完璧だった。本当に完璧だった。誰も気づかない。みんな騙される。「本山さんって素敵なお母さんね」と言われるたびに、私の胃は静かに腐っていった。
ただし、玄関を閉めた瞬間から、中流家庭の本山家というテリトリーに入った瞬間から、衆人環視から離れた瞬間から、その人間は別人へと変貌した。完璧な母親である仮面が剥がれ落ちれば、見るに堪えない憎悪にまみれた醜悪がそこには鎮座していた。
かぶり物を脱いだ中身を想像してみろ。可愛らしい着ぐるみから這い出してきた何か。それが我が家のリアルだ。
「千晴、今日のテスト何点だったの?」
声のトーンは穏やかだ。穏やかすぎる。感情の起伏がない。それが怖い。怒鳴る人間には感情がある。感情がある人間には隙がある。でもこの人の静けさには、隙がない。完全に閉じている。私は幼いながらに習いたての慣用句を当てはめた。嵐の前の静けさ。
「……95点」
「何を間違えたの」
「割り算の、筆算のところ」
沈黙。これが処刑台というやつだ。いつ落ちるか分からない。だが落ちることだけは確実だ。ギロチンは必ず来る。それを待つ時間が1番きつい。
「95点の子がO中学に受かると思う?」
責める声じゃない。確認する声だ。まるで天気を告げるように。まるで事実を読み上げるように。だからこそ重い。胃が縮む。喉がひりつく。怒鳴られる方がまだましだったと、今でも本気でそう思う。怒鳴られれば、少なくともそこには人間がいる。でもこの静かな失望は、私をはじめから存在しなかったものとして処理する。
父は呑気にソファで夕刊を読んでいた。
1度だけ、その背中に目を向けた。気づいていた。絶対に気づいていた。それでも夕刊をめくる手は止まらなかった。計算したのだろう。盾になれば矛先が自分に向く。かばうメリットがない。そう判断したのだ。メリットで動かないのが子育てってもんじゃないのか。なあ。
「お母さんの言う通りにしなさい」
それが父のすべてだった。私を傷つける言葉ではない。ただ、救いにもならなかった。その夜、布団を頭まで被って、声を殺して泣いた。理由は分からなかった。ただ泣かずにいられなかった。