1.プラトー
23時半。芸能用語でいえば『テッペン』がほどなく迫る頃に、今日分の撮影は終わった。
朝の10時から始まったドラマの撮影は、休憩をほとんど挟むことなくぶっ通しで今に至る。労働三法という言葉を知らないのか。労働基準法・労働関係調整法・労働組合法から成る、あの労働三法を。
芸能界というのは良くも悪くも、他の業界とは一線を画す独自の文化を築いたガラパゴスだ。華やかだと持て囃されて憧れの的にされることもあれば、前時代的だと袋叩きにされることもある。
しかし、叩かれ続けても、粉々にされても、この業界の本質は何一つ変わらない。変わる気もない。
その証拠に、撮影順は今日も昨日も5年前も同じだ。主演のシーンから撮る。どんなベテランでも、絶世の演技力があっても、美貌があっても関係ない。
業界の暗黙の了解とはよく言ったもので、要するに誰も疑問を口にしないというだけの話だ。プロ野球で10点差がついたら盗塁とバントは駄目、みたいな。
主演の演技時間が押したら、しわ寄せが来るのはその後に控える全員だ。俳優、女優、スタッフ、雑用、全部ひっくるめて。
まだ下っ端だった頃、朝10時撮影開始で翌日の8時に終わったことがある。20数時間、撮影所から一歩も出られなかった。そして。いまだ芸能界には先輩の演技は見させてもらって"勉強させてもらえる"という風潮が根強くあって、私は1日中赤べこのように頷き、メモを走らせた。
翌日そのメモを見返したら、後半からはシンナー中毒者が描いたようなミミズが這ったかのような文字らしきものが並んでいた。
スタッフが冗談で「深夜32時っすね」と言っていたのに、無性に腹が立ったのを覚えている。笑えない冗談というのは、笑えない現実を薄めるための方便に過ぎない。集団での欺瞞。
今は主演女優まで上り詰めた私でもこの時間に解放されるということは、大多数がまだ帰れないということだ。撮影は明け方まで続くだろう。ご愁傷さまだ。心から。
だからといって、ここで何かアクションを起こす気力も善性も持ち合わせていない。出る杭は打たれる。
私はありがたく一足先に帰ることにした。私服に着替えて、車を回してくるマネージャーを冬の寒空の下で待つ。
運転手であるマネージャーと私だけを乗せるには不相応なワンボックスカーに乗り込み、リクライニングを最大限まで倒す。新人の頃はそれに若干の申し訳なさを感じていた。今は1ミリも感じない。人は成長する。
マネージャーがカーナビをちらちら見ながら明日のスケジュールを読み上げ始めた。その声がひどく機械的で、黎明期の合成音声みたいだと思う。あるいは安いイヤホンから出るシャカシャカの音。
朝9時から情報番組の収録、昼からブランドの試着会、夕方に雑誌の取材。右耳から左耳へ素通りさせながら、暗い車窓に視線を預ける。多忙さに嫌気がさす。いや、嫌気というより、もっと体温の低い何かだ。倦怠とも違う。