天才の軌跡 チャールズ・ディケンズと悪の萌芽

ディケンズのもう一つの代表作『デイヴィド・コッパーフィールド』が劇化され、近年、ニューヨークで限定上演された時、大変な評判で連日満席であったという事実は、『オリヴァ・ツウィスト』の映画の成功とともに、ディケンズの心理的葛藤がいまだに現代人の心にも潜んでいることを示している。

『デイヴィド・コッパーフィールド』は自伝的小説であるとされ、物語は一人称で、主人公自身が書いている形式をとっている。しかし、物語の内容は、ディケンズの生涯とは随分かけはなれている。

まず、ディケンズは、デイヴィド・コッパーフィールドのように父を誕生前に失うことはなかったし、彼の母は小説でのように再婚していなかったし、ディケンズがまだ幼い頃に死亡したわけでもない。また、ディケンズは初恋の人とは結ばれてはおらず、彼の結婚は小説の中でのように最初の妻の病死及び再婚という道はとらず、離婚で終わっている。

このように一見実際とは全く違った人生を書いているように見えるが、私はこの小説を「自伝的」と呼ぶことに賛成したい。というのは、この小説はその核心においてディケンズの葛藤に忠実であるからである。

しかり、ディケンズは孤児ではなかった。むしろ彼はある意味ではめぐまれた幼児期を送ったと言ってもよいくらいなのである。彼の父は子煩悩であったと言っても、それほど間違いではないであろう。

それではなぜ、ディケンズは、権威者に対する不満を書き続けなければならなかったのであろうか。幸い、ディケンズの生涯はよく知られているので以下に彼の父親像に対する不信感がどこからきているのかを明らかにしたい。

彼が生まれたのは、一八〇二年二月七日のことである。この年はナポレオンがロシアで敗退した年であり、日本史でいうと文化九年、ロシア、アメリカ、イギリスの船が江戸幕府に通商を求めはじめた時代でもある。

彼の父、ジョン・ディケンズは海軍主計局の支払事務所の職員であった。すなわち、彼は下級の役人であったのである。

ディケンズの父方の祖父は執事であり、祖母は侯爵家の召使いであった。この祖父はジョン・ディケンズが生まれるとすぐに死亡している。

ディケンズの父が、まがりなりにも役人になれたのは祖父が昔使われていた主人のコネクションによるものである。ジョン・ディケンズは、上品な身のこなしを持っており、多弁、親切、活発な、やさしい人柄であり、よく人々を家に招いたという。

ディケンズの母は支払事務所に働いていた同僚の妹で、彼女の父は海軍主計局の上級職員であったという。このディケンズからいうと、母方の祖父にあたる人は、その地位を利用して、公金を横領していたことが、ディケンズの父と母が結婚して一年もたたぬうちに発覚し、海外へと逃亡している。

ディケンズの母の名はエリザベスといい、婚前の性はバロウである。彼女は小柄で陽気、冗談が好きな性格であったといわれている。これらの性格を裏付けるように彼女は、チャールズ・ディケンズを産んだ夜、その数時間前まで舞踏会に出ていたという事実がある。ディケンズは八人きょうだいの中の二番目の子供で、長男であった。