序章 邪馬台国東遷説 3つのエビデンス
邪馬台国東遷説は、和辻哲郎氏ほか錚々たる研究者が提案している。
九州にあった邪馬台国が、卑弥呼・台与のあと、大和(奈良)へ東遷したという説である。
主たる根拠となっているのは、天皇家が九州の伝承を持っているという事実である。
記紀神話の主神であり、皇祖神とされる天照大神は、「筑紫の日向の橘の小門」で誕生し、初代神武天皇は日向から奈良へと東征し⾧髄彦を滅ぼし即位したとされる。
本書では、従来の東遷説にさらに二つの根拠を付け加えたいと思う。
第二の根拠は、初代神武天皇から仲哀天皇まで、男系の直系継承であった天皇家が、十五代応神天皇・神功皇后の頃から、女帝を輩出しやすい双系継承に変化したことである。
ここで、双系継承について説明しておこう。
「生まれた子供が父方の一族に属するのが父系社会、母方に属するのが母系社会である。……中国は典型的な父系社会だった。父方の親族だけが社会的に重んじられ、地位の継承は男子の血統を通じてのみ行われるのである(男系継承)。
それに対して双系的親族結合を基本とする社会では、父方と母方のどちらに属するかは流動的で、父方母方双方の血統が子の社会的・政治的地位を決める上で重要な要素となる。
……古代の倭/日本は、もともと双系社会だったのである」(義江明子『女帝の古代王権史』)。