はじめに
私は2010年に打ち上げられた、日本初の金星探査機「あかつき」の立ち上げに尽力した一人である。
2023年に定年を迎えるまで、宇宙科学研究所の古典的な呼び方では衛星主任(JAXA流にはプロジェクトマネジャー)をしていた。
私のした仕事はプロジェクトの方向性を決め、それに見合う探査機のグランドデザインを引っ張ったことにある。
それはプロジェクト立ち上げ後のほんの数年間に限られ、それ以降は工学側は石井信明をプロジェクトエンジニア、理学側は今村剛をプロジェクトサイエンティストとして、この二人にプロジェクトの進行はほぼすべてを任せた。
広報の顔としてテレビや記者会見などには私が出たが、本当の苦労はこの二人を含めたプロジェクト関係者全員(今村が東大に移った後のプロジェクトサイエンティスト佐藤毅彦、探査機の運用を一手に引き受け、私の定年後衛星主任となった山﨑敦、予算関係を一手に引き受けてくれた衛星主任補佐の阿部琢美を含む。
それ以外にも大きく貢献をしてくれた莫大な数の人たちがいる)が分かち合っている。そして、これら関係者を心から支えてくれた家族の愛情を忘れてはならない。
本書で私が若い人たちに伝えたかったのは、「あかつき」に代表される宇宙科学プロジェクトを遂行する人々の情熱である。
サイエンティストあるいはエンジニアは、自分がやりたいことをプロジェクトとして提案してやり遂げる。
当時の我々は、税金を使って行われるプロジェクトが国民のために役立つかどうか、とは考えていなかった。ある意味ではとんでもないことである。
しかし、自分のやりたいこと、言い換えれば自分たちの好奇心の解決、を達成することが人々のために役立つという意識は、提案者の心の底に秘められていた気がする。
税金ですべて賄われているけれども、しかし何にも縛られない自由意思で行う研究としての宇宙科学プロジェクトが、宇宙科学研究所という大学共同利用機関で行われ、全国の研究者の努力の総和として、力を合わせてなされてきた時代の事情もあっただろう。
そのような、自分たちの手で自分たちのプロジェクトを作り上げる伝統と情熱を持つ宇宙科学プロジェクトの一例を、これからの人に伝えたい、というのが本書を書いた主な理由である。もう一つ取り上げたいのは失敗という、起こってほしくない事象への対応である。
「あかつき」は、「失敗しても次がある」という、昭和の雰囲気を引きずる我々が作り上げたプロジェクトではあったが、実のところ次はなかったので、プロジェクトのメンバーは必死だった。味方してくださった方も多かった。
文部科学省の廊下で当時の局長でおられた藤木完治が、「なんとか『あかつき』を救ってください」と、宇宙科学研究所プログラムディレクターの稲谷芳文に頭を下げられたそうだ。
2010年の失敗をなんとか切り抜けられたのはプロジェクトメンバーの頑張りがあったのと、ある意味幸運があったからだと思う。
2010年の金星周回軌道投入失敗時に、軌道制御用エンジンが壊れるのが、少し早くても少し遅くても、このプロジェクトの復活はなかっただろう。誠に幸運と言わねばならない。
この失敗も含めて私が覚えていることをお伝えしたい。なお、本文中の人名は敬称を略させていただいた。