那珂博士や津田博士の影響を強く受けた古代史関係の学会にあって、小林氏の結論は重いものがあります。紀年論に関する解説書としてはこの書を凌駕するものはおそらく当分は出ないでしょう。

それゆえに、著者の最後のまとめのことば、

「なお、本稿では『書紀』の初期天皇群在位年数の長大さがどのようにして生まれたか、この点の究明の見通しが提示できなかった。これは紀年論の大きな課題である」

は紀年論研究の意義を再認識させてくれます。

(一‐二)内田祐治氏の紀年論に光を当てる

「紀元」とはいつか

先に定義しましたように、紀年の紀元は天皇に即位した時です。書紀編纂者の編年原理は一貫していて、先帝の崩御を受けて、皇太子(ひつぎのみこ)が新天皇に即位した時を紀元としています。

『書紀』を読む者なら誰もが書紀編纂者に従って、即位は先帝の崩御に伴って皇太子が即位した時と理解しています。

『書紀』は越年称元法を採用していますので、皇位元年は即位の翌年に置かれます。こうして、各天皇紀は事績記事を元年より書き始めて、二年、三年……と順次皇位年ごとに最終皇位年まで年を刻んでいきます。

最終皇位年の最後の記事は無論、天皇の崩御です。

前述の如く、紀年は即位した時から数えた年数です。紀年は元年、二年、三年と単に皇位年を示すだけで、年号は付いていません。

書紀編纂者が原史料に載る年代を読み取る時、もし誤認を犯しているとしたらどんな問題が起こるでしょうか。仮の話で考えてみましょう。

 

甲さんが住民台帳の書類を役場に提出したとします。

その時彼は誕生年を単に「二十三年」と記載して書類を提出しました。

年号(元号)がないので、昭和二十三年なのか、平成二十三年なのか、はたまた、西暦二〇二三年なのか不明です。

昭和しか頭にない役人は、甲さんを昭和生まれの人が載る住民台帳に入れてしまいました。しかし、甲さんの誕生年は平成二十三年だったのです。

後になって甲さんの年齢を知る必要が起こりました。昭和二十三年は西暦一九四八年、一方、平成二十三年は西暦二〇一一年。

役人の年号の誤認により、甲さんの年齢は一気に六十三歳も増えてしまいました。