【前回記事を読む】異常に長寿の天皇が続出…100歳超えの長寿を全うした天皇が9人も!? 医学が発達していなかった時代にあり得ることなのか
第一章 序論――紀年論の問題
(一‐一)紀年延長操作は行われていない
恣意的紀年延長はあったか?
上古とは文献の存する限りで最も古い時代、大化の改新の頃までをいいます。表1-1では、上古の初期天皇群の中には異常な長命を記録したものが多数に上ることを見ました。各天皇の崩御年は、推古天皇の崩御年を始点として、各天皇の治世年数と空位年数を積み上げていくことで辿り着くものですから、年齢問題は結局は紀年の問題に還元されます。
まず、先学により展開されてきた紀年論を、巻末の参考文献(主に小林敏男、高城修三、友田吉之助、倉西裕子氏らの著書)より簡単に復習しておきましょう。
紀年の問題はすでに江戸時代の後期、新井白石、本居宣長などの国学者らにより指摘されていました。幕末の頃、伴信友(ばんのぶとも)は、神武天皇の即位元年が干支で辛酉(しんゆう)年であることに着目し、『書紀』紀年は中国の漢の時代(紀元前二〇〇年頃)に流行した讖緯(しんい)説と辛酉革命説をベースにして編纂されていると論じました。
讖緯とは古代中国で行われていた予言の類です。この讖緯思想・辛酉革命説は、干支が一巡する六十年を一元とし、二十一元を一蔀(ぼう)として算出される一二六〇年(=六十×二十一)の辛酉年に、国家的革命(王朝交代)が行われるという考えです。
時代が明治時代に入ると、歴史学者の那珂(なか)通世(みちよ)博士は、書紀編纂者は讖緯思想・辛酉革命説を紀年の土台として採用したと考えました。即ち、推古天皇が斑鳩(いかるが)に都を置いた西暦六〇一年(辛酉年)から一蔀(一二六〇年)遡った紀元前六六〇年(辛酉年)を、大革命である神武天皇即位の年として書紀編纂者は定めたのだと那珂博士は考えました。そして、各天皇の宝算は紀元前六六〇年を目指して延長されたと主張したのです。
書紀編纂者による恣意的な紀年延長操作が行われているという那珂博士の指摘は多くの研究者から支持されました。戦後においても、彼の説は三品(みしな)彰英(あきひで)氏らにより詳細に検討、深化され、今日に至るまで書紀紀年論に重大な影響を与えてきました。
紀年が恣意的に延長されているのなら、それをもとのものに復元する方法があるはずです。これまで提案された紀年復元法のうち、代表的なものを二つほど紹介します。
