ある日、いつものように律音たちを取り囲む女子生徒に目をやると、同じクラスの小林結(こばやしゆい)の姿があった。
結は背が高くスポーツ万能な女子で、どちらかというと男友達が多いタイプだ。クラスではあまり目立つ存在ではないが、出席番号が近いのでよく話をする。
(あ、結だ。律音先輩と仲がいいんだ。あんな風に笑って話せるなんてすごいな……)
楽しそうに話す結を見て、密かにそう思う。
それから数日後のこと、ロッカーに忘れた教科書を取りに行こうと、私は急いで教室を出る。
小走りで廊下を進み、階段を降りようと角を曲がったその時、階段を上ってきた男子生徒とぶつかり、反動で手すりに肩をぶつけた。
「いったー」
痛みと同時に、記憶に新しい柑橘系の香りが鼻をかすめる。
(あれ、この香り……)と思いながら顔を上げる。
「おい、廊下走んなよ」
ぶつかった相手は律音だった。
「す、すみません。ちょっと急いでて……。じゃあ、失礼します」
恥ずかしさのあまり立ち去ろうとすると、律音に呼び止められる。
「お前、この前食堂で俺のこと無視したヤツだよな?」
(私のこと覚えていたんだ)。
驚いた拍子に肩の痛みは消えた。
「そうです。でも、無視はしてません。ちょっとびっくりしちゃって……」
目線を下に向けたまま前髪を整え、照れ臭さを誤魔化す。
「やっぱりそうだよな。まあ、それはいいけど」
律音は一呼吸置いて訊く。
「で、名前は?」
「え?」
「だからお前の名前は?って聞いてんだよ」
おたおたする私が面白いのか、半笑いで見ている。
「あ……依夢です。二年一組の冴木依夢です」
不自然に視線を外しながら軽く頭を下げる。
「俺は律音、川端律音。よろしくな」
律音が右手を差し出す。
「あ、よろしくお願いします」
反射的に右手を差し出し、握手をした。
「もう廊下走んなよ」
律音は背中越しにそう言いながら、廊下を歩いて行った。私は深呼吸をして速まる心臓を落ち着けると、今の出来事を思い出し、にやける口元を手で隠しながらロッカーへ急ぐ。