【前回の記事を読む】父を残して、戦地から逃れた——ふと振り返ると、私たちの集落には黒い煙が立ち昇っていて…おそらくもう両親は…。
第一部 草原の風
一 白昼の襲撃
(四)
二人は、なんとか岩山を越え、その先の小さな森で一晩を過ごした。リョウは、自分が矢を避けたことでシメンの顔に傷をつけてしまったことを悔やんでいた。傷は左の頬を下から上に斜めに走っている。咄嗟のこととはいえ、あのとき、自分が避けなければ、あるいは馬の進路を少しでもずらしていれば、シメンの顔に傷をつけずに済んだ。
そう思うと、シメンに申し訳なく、なんとか傷を治してやりたいと思った。沢の水を汲んできてシメンの頬を洗ってやったときには、シメンは痛みをこらえてじっとしていたが、傷に効く野草を噛み砕いて擦りつけてあげると、痛みで飛び上がった。
「今、治さないと化膿してしまうから我慢しろ」
そう言ってシメンを押さえつけると、傷の上から水で濡らした落ち葉を貼り付けてやり、さらに布でぐるぐる巻きにした。草原生活をするようになってから、遊牧民に習い、怪我をしたときにはいつも、母がしてくれたやり方だった。
二人は翌朝早くに森を出ると、岩場を避けて草原をさらに北に向かった。後ろに追手がいないことを確かめながらも、グクルに二人乗りということもあり、また行くあてもないので、急ぐ旅ではなかった。それよりも、何も持たずに飛び出してきたので水と食糧の確保が先だった。
森を出る前に、腰の石鑿を木の枝にくくり付けて作った即席の銛で、沢の魚を何匹か獲ってきた。沢の水も忘れずに竹筒に入れてきている。幸い、短弓と矢も失わずに持ってきていたので、三日目にはシメンと二人がかりで追い込んで、兎を一匹仕留めることができた。兎を捌く短刀や、竹筒、それに火打石と打金は、すべて母がシメンに持たせた旅支度の袋に入っていた。
あらためて、あの危急の場での母の落ち着きぶりを思い出し、涙がこぼれそうになるのを、シメンの前だからと必死にこらえた。もし長安の街の生活しか知らなかったら、こうして草原でシメンと二人だけで生き延びることはできなかっただろうな、とリョウは思った。
四日目、草原の道の前方に小高い丘が現れた。父は西に向かえと言っていた。あの丘を越えたら西に向かえるのではないかとそのまま馬を進めた。家族で暮らした唐の国は、自分たちには優しくなかったなとリョウは思った。長安を追われ、そして今また、ようやく慣れてきた草原の暮らしを奪われた。
西に向かえば、何か良いことがあるのかもしれない。そして父もいつか迎えに来てくれるかもしれない。