病院の待合室には常に患者や付き添い家族があふれ、受付の番号札を確保するために夜明け前から並ぶ強者さえいた。「診れる患者は診てあげよう」――それが医師も看護師も共有する合言葉だった。救急車のサイレンは昼夜を問わず鳴り響き、病院前での渋滞は日常的であった。
経営は好調に推移し、収益は右肩上がりを続けた。黒字が続けば、次は施設拡張という選択肢が自然に浮かび上がった。新しい医療施設、さらにもう一つ。そうして、病院の地図は年々書き換えられていった。
「医療だけは、国が守ってくれる」
そう信じて疑わなかった。医療というのは、時代や経済の波とは別の次元にある“絶対的なもの”だと。資金は常に潤沢にあった。白衣をまとって歩く父やその仲間たちの背中は、揺るぎない誇りと安定の象徴だった。
おもちゃ箱のような町での生活と、勢いのあった昭和の時代背景。その二つの流れが交差する中で、僕の「自分らしさ」が作られていった。
最弱バレーボール部、手繰り寄せた初勝利
中学校では放課後の部活が必須だった。
第1候補は、花形の野球部だった。だが、経験者ばかりが名を連ねる中で、気後れした自分がいた。
反対に、初めて間近で目にするバレーボール部。体育館の中で次々とスパイクを決める先輩たちが輝いて見えた。みんなが横一線でのスタートなら、自分にもレギュラーになれる可能性がある。そう思って、第2候補だったが迷わず飛び込んだ。
「ファイト、オー!ファイト、オー!」
1年生の僕らは、声を張り上げながら先輩の背中を追って走り続けた。ランニングに階段ダッシュ、腕立てや腹筋の基礎練習に汗を流し、時には突き指をしながらも、実戦練習に食らいついた。
憧れていたアタッカーの道は、人並み以上の身長とジャンプ力が求められた。けれど、自分にできる役割を考え、セッターとしての技術を磨いた。そして2年生の秋、ついにレギュラーの座を手に入れることができた。
コンビネーションが決まって得点を取ったときの快感は、何物にも代えがたかった。バレーボールの魅力にどんどん引き込まれていった。
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