【前回記事を読む】職場復帰のために、麻痺や発話障害が残ったまま一人暮らしすることに。不便と不安で怯える中、火傷で追い打ちをかけられ遂に…
第一部 社会に飛び出せ ―数奇な私の人生―
Ⅲ.社会に参加する
東京での私の活動
東京に戻ってからの私は12年ぶりに自宅で待っていてくれた家族(定年間近の夫と社会人として独立していた息子、息子は後日結婚)との同居生活を再開し、古くから私をよく知り理解してくれる友人や同業者に囲まれる環境に再び戻りました。
生まれ育った東京に戻った私は心底穏やかな気持ちになりました。夫はまだ仕事を続けており、当初私は家庭の主婦として家事全般にわたり仕事をするつもりで、介護保険を利用し入浴介助と家事サービスの提供を受けることになりました。
単身赴任ばかりですれ違いの生活が終わり、2人が常に一緒の疑似新婚生活が再び始まったのは幸せでしたが、それはかつてのようではありませんでした。以前の私はどれほど忙しくてもすべての家事を短時間で効率的に細部まで完璧に仕上げられることを密かな自慢にしていました。
何しろ神戸赴任時には毎週末帰宅する度に冷蔵庫の中身をチェック後買い出しに行き、翌週用の家族向けに栄養バランスのとれた美味しい夕食を何食分も手早く作り、あとは電子レンジで加熱するだけの状態にして冷凍していたくらいなのですから。
私の口癖は「効率、効率!」(今で言う「タイパ」?)で、日々の家事はもちろんのこと、時には自宅に友人知人それぞれの仕事・教会仲間を招いてホームパーティーを計画し、パーティーではホステス役として細部にまで気を配る完璧な主婦でした。
色とりどりの華やかなパーティー料理を手早く準備してお客様に感嘆されたりもし、その準備や掃除・買い物・家の片付けなどをこなし、後片付けもフル回転で処理し複数の家事を並行して処理でき、マルチタスクを手落ちなく見事にこなしていました。
招待したお客様は一人や二人ではなく、最多の記録は延べ3桁にのぼるほどの来客数だったと思います。そのお客様は全員用意した手料理を堪能し、十分楽しんでお帰りくださったのは言うまでもありません。
確かに、今回はその時代とはかなり事情が違っていました。何しろ、動く手は利き手の反対側の生来不器用で拙劣な右手で、非効率的にしか動かず、手早く家事をしようにもそれは明らかに至難の業と私には思えました。
生まれ持った「負けん気」が旺盛の私は、何をするにも悔し涙を流しながら、人生第二番目の主婦業に取り組みました。
そのため、まずは環境に慣れ非利き手の巧緻性が次第に高まることを期待して当初からボタン付けなどの細かい作業は避け、私にもできそうな負担の少ない調理や掃除や片付けなどの簡単な家事を中心とした生活を始めました。
身体的には辛い状況でしたが大学教員としての負担が減った分、精神的に自由で安定した日々でした。東京生活が始まって3か月ほど経過して、夫が私の介護を理由に仕事を辞めることになり、「主夫」として家事全般を担当してくれることになりました。
それ以来、夫は文句ひとつ言わず、私の要望を第一にして日常を整え完璧で献身的な主夫ぶりです。私の介護のために夫が重要な仕事を辞し、地位も名誉も収入も放棄し、「黒子」(本人の言)として私を支える側に回ってくれたことに、それ以来私はいつも感謝しています。
夫が主夫として家事全般をするようになって家庭内での夫婦の立場や力関係が変化したことによって私の視点も変化し、それまでの「夫から見た妻としての私の言動」を振り返る機会を持つことができたのもありがたいことでした。
その後の私の活動は、①社会に向けた情報発信、②自分に向けた健康維持活動、
③学術的活動、④失語症者に向けた活動、⑤その他の趣味などに大別できます。それぞれの詳細を以下に述べていきます。