私は(もうこれまで! どちらか死ぬしかない。『毒を食らわば皿まで』。もういい、地獄へ行こう‼)と考えていたのですから……。

その時に、「その考え方は変じゃないのか?」という意味合いのことを、言われたように思うのですが、ふて腐れ諦めたように、ただボーッとして聞いていたのでしょう。今も、はっきりとした言葉は記憶しておらず思い出せないのです。

しばらくして、その言われた意味合いのことが胸にひっかかっていて、むしろ自分の心の方が本当は病気なのかもしれない(その心の底には自分以外の人、彼が死ぬことを待っていることではないのか!)。「ハッ」としたのです。

もう一度本気で生きよう。挑戦してみようと思ったのでした。下を向き歩いていた私でしたが、心の中の頭を上げたのです。

何ということでしょう。F所属長はカウンセラー資格を持った方だったのです。このF所属長の下に置いていただいたことに、感謝の気持ちで一杯です!

この日から毎朝、私の話に耳を傾けてくれたのです。この時の出会いが、本当の私として生きることへの出発点となったのです。そのことを本当に心から感謝しています。

しばらくして、F所属長から「あなたが苦労した体験はとても貴重なもの、財産です。苦しむ人に分けてあげてください」と、本の執筆を勧められたことを今、思い出しています。その頃、相田みつをさんの詩、「出逢い」の言葉を見つけ、心を打たれたのでした。

自分が頑張れば、自分が何とかしようという私の「我」に気づいたのです。自分が自分がという「我」の「無力」を観じたのです。

その思いに至り、無力を認めた時、振り返り、思い返せば、御本尊様は、ようやく「我」を捨て、我の無力に思い至ったのかと手を差し伸べてくださったのではないでしょうか! そのように、今思うのです。