はじめに

この文章を書くきっかけは、一人の教え子との再会でした。

愛知県立N高校で初めて担任したN・A君、元気が過ぎて、職員室で何度か注意した記憶があります。けれど、それが不思議な縁となり、今でも彼は毎年クラス会に私を招いてくれます。

ある日、久しぶりに彼から電話がありました。健康上の理由で施設に入所したという知らせとともに、「自分史を書きたい」という思いを語ってくれたのです。世界を飛び回った営業人生を記録に残したい―、その言葉を聞いて、私はぜひ書くよう勧めました。

そしてふと、私自身がこれまで書いてきた自分史や、ことわざを交えた人生の記録をまとめて彼に見てもらえば、何か参考になるのではないかと思ったのです。

それは彼だけでなく、教え子や後輩、知人、家族、親族の皆さんにも、自分史という営みに興味を持ってもらえるかもしれない。そんな願いも込めて、本書をまとめることにしました。

第一部では「自分史とことわざ」と題し、自分史に対する私の基本的な考えを記しました。第二部では「ことわざとともに歩んだ人生」として、私自身の歩みを綴っています。

もちろん、私の書いたものが模範となるような立派な自分史だと言いたいわけではありません。ただ、私の人生を形づくってきた出来事や思いを、ことわざという「知恵の森」の視点から描いたドラマとして読んでいただければ幸いなのです。

人生は矛盾の連続です。平穏に見える日々の中にも、だれしも心の中に対立や葛藤を抱えているものです。私がそのような視点を持つようになったのは、日英のことわざを学び、それを座右にして生きてきたからです。

なぜことわざに惹かれたのか―、それは、ことわざの中に自分と同質のものを見つけたからです。読むたびに心に響き、親しみと一体感を覚えました。私の中にある思想的・性格的な矛盾が、ことわざの対比や逆転の発想と響き合ったのです。

最近、改めて自分の人生をことわざの教えに照らして眺めてみました。すると、私の一生はことわざの知恵の中で過ごしてきたに過ぎない―、そう感じるのです。喩えて言ってみれば、大空を縦横に飛び回っていた孫悟空が、実はお釈迦様の手のひらの中から出ることはなかった話のようなものです。

それは、私が意識してことわざの教えを守ってきたというより、むしろ、ことわざの知恵はあまりに広く深く、私には超えることができないほどであると感じているのです。

本書が、読者の皆さまにとって「自分を見つめ直す一つのきっかけ」となれば、これ以上の喜びはありません。